靄を晴らす、夜明けを知らず

次にnoteを書くのは転職後であってくれと微妙な願掛けしてたんですけど、そのあいだにとりこぼしてゆくものがあまりにも多くなりそうであったので撤回しました。敗退ともいう。ぐぬ。
もう一体どれほどのあいだ、身の上話しか書けずにいるのだろうかと思います。ほかのこと書きたい! コミティアの記録とか書ける人生送りたい! しかしこれは言ってるだけでセルフむなしいが過ぎる(ありがたくもこの間、委託と売り子もどきはさせていただいているんですが)

昨年5月に引っ越しを済ませ、まあ数か月後には転職していたい(し、そうじゃないと生活困窮度合い的にヤバい)と思っていたわたしはどこにいるのだろうか。なーんて今さら思いはしませんが、この間どうやって生きてきたかを考えると非常に落ち込みます、振り返りたくない。これは現在進行形で。
有り体に言って親のすねをかじっているので……(このひと言も、転職して耳をそろえて返してから書きたかった、がもう耐えられなくなった)。
昨年末ごろに生活保護の相談に行って、やっぱり受給するのはやめようと思ってから、これで良かったのだろうかと何度か考えています。良かったと言い切ることは今後もぜったいできないだろうな。でも今も(受けたほうがいいだろうとは思うけれど)受けようとは思えないのだから、今のところは「仕方がない」で片付けようと思います。
この「仕方がないで片付ける」ができるようになったのが明らかに薬のちからで、奇跡のようだといまだに思う。あほみたいにありふれた脳機能なのだろう。でもこれまでに決してわたしが得られなかったことです。
薬を飲むようになったのは昨年9月の終わるころで、気づいたら飲み始めてから5か月を数えていた。いまの用量に落ち着いたのは12月の頭ごろ。
わたしはそれ以前の自分を失ってしまったのだといまだに思う。
わたしは考えなくてもよくなってしまった。
過去の自分はよく考えることができたし、それが支えだった。ひとがどうでもよく片付けられることを掬い上げられる点に自分の特長を見ていたかった。もちろんそれはとても苦しかったし、そういう考えすぎる気質のせいでこれまで実に様々な挫折や失敗をしてきたのだけれど。
いろんな場面で身動きがとれるようになった。だから今の状況は決して手放せない。でも代償がないなんて言えない。以前よりずっと睡眠時間が必要になって、それでもぼんやりとしてしまうし、なにより考えられなくなったことは、書かずにはいられなかったものをなくしてしまうことと同義だった。
これまでに書いてきたような小説は二度と書けない気がする。
果たしてそれって、働いて生きていけることと天秤にかけるほどの価値があるんだろうか、といまだに思います。実際には、「稼働能力があるにんげんは稼働せよ」という社会設計をしている国で生きているからには、その問い自体がおよそ効力を持ちませんが。でもそういう問いを、そんな理由で手放すにんげんにはなりたくないといまだに思っている。(思えている?)
わたしは薬を飲み始めてまだ半年も経たず、この間の状況はぐだぐだと困窮するばかりでまだ解決もしていなくて、この状況なりの(健康状態の)安定というものはあるけれど、きっとまだまだこれからなんだろうと思います。そうあってほしいと思っています。
考えずに過ごすことができるようになった、それによって得られた健康状態もある。そのうえで、考えたいときには考える。あまりに細かくて身動きを封じてしまうようなことでも、掬い上げるべきときにはそこにまた触れられる。そんなふうになっていきたい。いまは考えられないけれど、それはまだ途上なだけなんだと。

ところで年明けくらいからちまちまと小説を書いています。がこれは上記の理由とはまったく関係なくて、単に前々から書きたいと考えていたものを始動しただけの話です。そしてこの話はこれまでのわたしが書いてきたような、思考の足跡と記録っぽい話ではなく、なんというかライトなエンタメっぽさがある話です。
これが今の状況と相性が悪いのか、前述の「書けなくなってしまった」という気持ちをちっとも埋めてはくれません。それは別の課題なのだから当然だし仕方ないのに、どうにもその焦りのとばっちりで、いま書いているものは全然捗りません。二週間くらい筆が容易に止まるし、書けてもほとんど進まない。代わりになにが書けるわけでもないのに困ったものです。
でもこれ以上寝かせたくない。これはこれでさっさと書いてしまいたい。いろいろ割り切れるようになったのだから、ここも割り切れたら楽なのですが、肝心なところでそうはいかないようです。
これまで、小説を書く時の支えや原動力を偏らせすぎてきたのかもしれない。どんな状態でもそれなりに文字を生み出せるようになりたい。フラットなエンジンを積みたいというか。
途上なのだと思うほかに、いまできることは見つけられそうにもありませんが、それでも書くことは考えることだと思う。書けば少しは考えることができる。これまでは勝手に考えることを書きだすばかりだったけど、もうそれは期待できないなら、新たな手法を意識していかなくてはならない。
いまの喪失からなにを得られるだろう、なにか生み出せるだろうか。
はやくそういうことを本腰入れて考えられるように、やっぱりさっさと転職をしてしまいたいです。結びが無いな~

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