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hanage/ハナゲ “それ”が見えたら、終わり。

「だから、それを聞いてんだよ!アホが!」

僕の目の前に座っている男がそう叫んだ瞬間、僕はおもわず彼の顔を見つめてしまった。すると彼は天井を見上げた。

ふと彼越しに窓の外を見ると夕暮れの西日がギラギラとこちらを照らしている。まるで帰れと言わんばかりのそのまぶしい夕日に思わずため息が出た。

しかし今日は帰れない。この間行われた社内アンケ―ト調査がまだ終わってないからだ。僕と同僚の佐々木くんはいつの間にかこのアンケートの担当になっていた。おそらく断れない性格が災いしたのだろう。この時ばかりは自分の性格を呪ったが、一度承諾した手前、途中で辞めるわけにもいかない。しかも、このアンケートは社内報に乗るので清書しなければならず、締め切りもあと2日しかないという切迫した状況だ。

僕たちはこのアンケートの仕分けとかれこれ3日以上も向き合っている。枚数が多いというのも原因の一つなのだが、最大の要因は回答の内容だ。一番多かったのは抽象的なことばかりで具体的な内容が書かれていないケースだ。まぁ~これくらいならまだ許せる範囲だが、なかにはちょっと日本語として成り立ってないというか、Lost my 読解パワーヘイ‼みたいな回答も含まれてる。これもまぁ~10000歩譲ってアホだろ程度で済ませればなんとかなるだろう。一番厄介なのは、意識高いことをほのめかす文章を長々と書く奴だ。

グローバルでとかナショナリズム的観点からとか書いてくる。意味はなんとなく分かるが何を言いたいのか具体性がまったく見えてこない。清書する身としては本人が何を言いたいのか分からない以上、なんとなくそれっぽいことを書くしかない。しかし、意味合いから二重表現になる場合も多く、もてる限りの日本語を使っても意味は通じるが日本語になっていないといったことがたびたび起きる。言葉を削ったり、付け足したりとそれだけで1時間なんてあっという間だ。こうして、僕たちの時間とSAN値は意識高い系によってゴリゴリと削られていったのである。

「頭湧いてんのか!」

佐々木くんはそう言うと机に置いてあったコーヒーを一気に口へと流し込み、天井を見つめだした。僕もコーヒーを一口飲み込んで、天井を見上げて目をつぶった。お互い疲れが溜まっていることは分かっているし、今やめるわけにもいかないことは理解していたが、ここまでゴリゴリに削られるとなんだか全てが嫌になってきて、投げ出したい。そんな気持ちになっていた。

「まさかな、日本語で苦しめらるとは……。」

佐々木くんが目頭をつまんでそう言った。僕は、視線を佐々木くん方に向けて「そうだね、今日はもうこのへんにしとくか?」と疲れ切った彼に提案した。

すると彼は小さな声で「もうひと踏ん張りしてからな。」と答えた。どうやらまだ続けるらしい。

僕はため息をつきながら天井を見上げようとしたがあることを発見して彼を凝視した。おや、どうやら彼の鼻から三本ほど毛が飛び出しているようだ。これは幻覚だろうか。疲れて幻覚でもみえているのだろうか。なんだか、その三本毛がゆらゆらと手招いているように見える。

目を擦って再び彼の鼻毛と向き合う。いや、間違いない手招いている。僕はさらに彼の鼻に顔近づけて凝視した。幸いなことに彼は目頭をつまんでいてこちらの様子は見えていない。顔が彼の鼻からおおむね1mほどのところまで近づいてた時、彼は鼻から粗目の息をはき出した。

その瞬間、三本毛は大きくなびいた。その光景はまるで毛が必死にしがみついているように見える。僕はとっさに体育祭でも始まるのか思うほど大きな声で「がんばれぇー!」と声を出してしまった。すると佐々木くんはパッと顔上げて「そうだな!ありがとう!」と僕に言ってきた。

「いや、その~そうじゃなくて、お前じゃなくて…」

そう言いたかったが、今は言えない。これまでアンケートという死線の超えて来た戦友、いやもう親友だ。「鼻毛出てるぜ」なんて軽い感じでは言えないし、ここまで疲れ切った彼にそんなパワフルなダメージを与えるわけにはいかない。下手したら廃人、いや鼻毛大魔神佐々木になってしまうかもしれない。「あなたが鼻毛のことを言わなければこんなことには……」そういって冷たくなった彼を抱きしめる妻子を想像するとさらに言えない状況に追い込まれる。

そうこうしていると佐々木くんはおもむろに立ち上がり、大きく背伸びをした後、首を回し始めた。

三本毛は、まるでハリケーンに襲われているかのように激しく揺れてい……あれ、一本足りない。僕は目頭をつまんで自分の見た光景を疑った。見間違えだったのかとも考えて、再び彼の鼻を確認した。

やっぱり一本足りない。おかしい。これでは二本毛だ。海平兄さんじゃないか。果ては波平になってしまう。

(何とかしなければ。)

僕に不思議な使命感が宿った瞬間だった。しかし、どうしたらいいんだ。指摘することもできないこの状況で、いったどうした……そうだ!鼻を擦ってもらえば……いやいやダメだ。それだとこの世から鼻毛がパージされることになる。この社内のど真ん中で絶滅させるわけにはいかない。

固い決意と共にコーヒーの入った湯呑を持ち上げてた。こういった場面ではとにかく冷静になることが求められる。とりあえず、落ち着こうとおもむろにカップに入ったコーヒーを見た。

そこには、おそらく水上着陸に成功したのであろう鼻毛が浮いていた。

どう考えてもおかしい。「奇跡的な生還です!」じゃないよ!そんなに飛ぶはずがない。

またしても自分の目を疑うことになるとは、そう思って目頭をつまみながら上を向いた。これは何かの夢なんだ。そうだ、夢だ。こんなこと鼻毛が縦横無尽に駆け回るはずがない。

しかし、再びカップの中を見つめた僕の目に異様な存在感を放つ悠然とした鼻毛が映し出された。僕は彼に鼻毛の存在がバレないように何度もチラ見しながらその動向を窺った。

「よし!さっさと終わらそうぜ!」

大魔神はどうやら息を吹き返したようだ。彼は気合を振り絞るような顔していたが、その鼻には今にも飛んでいきそうな鼻毛を携えている。彼が再び、アンケート用紙に視線を落とした。

僕だって早く仕事を終わらせてこんな鼻毛の悪夢とはおさらばしたい。しかし、重大な使命もある。鼻毛を救うこと、それが今僕の課された使命だ。親指と人差し指さえを君の鼻の穴に食い込ませれば済むことだ。そうすれば、お互いの労を労ってこのあと一杯どう?みたいな会話も気兼ねなくでき……あれ、ない。鼻毛がない。

お前の鼻毛はどんだけ無邪気なんだ!

まさか、その毛、生きてんのか!

もー分からん。もうーこんな鼻毛は嫌だ。帰りたい。今すぐに帰りたい。

「そう言えばさぁー、高橋さぁー。朝から言おうと思ってたんだけどさ、鼻毛出てるぜ。」

「え、何本?」

「9本」

3倍、3倍も出てる。怖い、もう鼻毛怖い。



おわり。





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