大学生
「大学生」という肩書きのおかげで、ずいぶん得をしてきた。
同じ挑戦にしても、【社会人】と【大学生】では、響きが違う。
【学生】のほうが、いい意味で青さがある。
これは、肩書としてとても使い勝手がいい。
挑戦が成功に終わったなら「学生なのにすごいね」
ただの成功に、学生の肩書きで付加価値が付く。
失敗に終わったなら「学生のうちにたくさん失敗しときなよ」
大怪我にはならない。
僕自身の経験として、やはりヒッチハイクが大きかった。
ヒッチハイクなんて、特に学生の肩書なしには難しい。
「社会人3年目です!車に乗せてください!」と呼びかける勇気は、僕にはない。
教育の学生団体の立ち上げも、学生の肩書きに助けられた。
学生だから、話題を広めてくれる大人の方や
学生だから、時間を割いて会ってくれて、いろいろなお話をしてくれる方がいたからLearnBoはそれなりに大きくなってきた。
特に自分の大学は、「バカ」が少ない。
失敗や恥を捨ててアクションを起こすタイプの人が少ない。ように思う。
なので、「自分で団体立ち上げた」というだけでかなりチヤホヤされている。
大学の広報誌に載ったり、インタビューを受けたりもした。
もちろん、まんざらでもない気もする。
が、それはあくまで「おやま」の上で注目を集めているに過ぎないことも、薄々分かっていた。
分かってはいたが、頭の隅に追いやっていた。
そんな中、最近、就活の一環で企業の人事さんに大学での活動を説明する機会があった。
こういう時は大体、学生フィルターで褒められる。
今回も、それなりに褒めて評価してもらえると思った。
「あなたのために率直に言うと、
学生にしては頑張っている程度、という印象です。」
悔しい感情と、やっと言ってくれた、という感情が入り混じった。
本当は、もっとできるんじゃないか?
いや、そんなカッコいい「ポテンシャル」の話ではなくて、
単純に、学生の肩書に甘え始めていないか?
たかが学生、されど学生
学生、という言葉は、攻める武器にも、庇う盾にもなっていた。
僕から「大学生」の肩書を取り払えば、生身の「21歳 男性」が残る。
そして世の中には、もっと多くの価値を世の中に残している21歳が山ほどいる。
僕の周りだけを見ても、起業して自力で金を稼いでいる友達もいれば、ヴィーガンを日本に広めている活動家の友達もいる。
彼らはもう、自分のステージを自分で縛っていない。
一人の人間として、誰と比べるわけでもなく、自分の価値を磨いている。
「大学生の年齢にしては、頑張っている方だろう」なんて考えながら、仕事をしていない。
彼らを見ていると、自分の甘さを痛感する。
だから、直視しないようにしてきたのだ。
学生のステージで戦っている限り、彼らと比べられることも、比べる必要もない。
しかし今、この自分の弱さにきちんと目を向けなければいけない。
「自分周りの5人の人間の平均が自分である」という研究がある。
つまり、人間のポテンシャルは周囲環境に大きく左右される。
周囲環境の変化は、受動的な変化と能動的な変化がある。
能動的な変化を恐れず、むしろ楽しんでいるとき、人は爆発的に成長する。
今の自分には「ステージを上げる」という環境変化が要る。
学生というステージを離れ、逃げ道を絶ち、妥協を捨てる。
しばらくは “負け” が続くと思う。
いつから、怖くなったんだろう。最初からか。
楽しもう。楽しめる仲間もいる。
とても、悔しい。
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