世襲化した三井寺の長吏 福家俊彦著『三井の山風どこ吹く風』を読んで

 三井寺の辺りをウォーキングすることがあります。拝観料が要る境内には入りません。仁王門の前の、風にゆれる木立を通り過ぎるだけで古刹の歴史を感じることができます。

 このお寺はいつも閑散としています。週末も駐車場はガラガラです。桜や紅葉のシーズンはかなりの活況を呈すものの、一年のほとんどはひっそりと静まりかえっています。全国の有名寺社はコロナ禍で拝観者が激減しましたが、三井寺は以前から閑古鳥が鳴いていました。

 いささかキツいことを書いています。ですがこの状況は「当事者」も認めています。三井寺の長吏・福家俊彦氏は自著で、「相も変わらず三井寺の境内は訪れる人も少なく大いなる静寂につつまれている」と自虐しています。

 三井寺のトップの手によるこの『三井の山風どこ吹く風』(2012年刊 )は、いわばエッセイ集です。ですが、ありきたりのエッセイではありません。福家氏が長吏に就く前、新聞に連載したもので、氏の深い教養と広い見識から派生したテーマが、全編にわたって繰り広げられています。読み始めたものの、浅学の自分は、それらの多くをスルーするしかありませんでした。

 一方で自分は、所々に記された、この方の人となりに興味をおぼえました。先々代の長吏の家に生まれ、住まいは三井寺の一画にあったようです。地元の長等小学校と皇子山中学校に通い、長等小では、「三井寺とも道一本隔てただけで、忘れ物などは休み時間に走って取りに帰れば楽々間に合ったものである」と、思い出を語っています。

 ほかの資料も併せて調べたところ、氏は、大学は遠く弘前大学に学び、立命館の大学院を経て、三井寺の仏門をくぐりました。福家の家は三井寺の長吏を、直近の4代にわたってつとめています。俊彦氏は164代目の長吏ですが、161代の守明氏に始まり、その子、その弟、その甥(俊彦氏=守明氏の孫)と、福家一族の名が続いているのです。

 たとえば浄土真宗の、東西の本願寺であれば、宗祖親鸞の血脈でトップの座が継承されてきました。さらに歴史が古く、由緒ある三井寺においては、門跡が入れ替わり立ち替わりその地位に就いてきた。しかし時代が変わり、公家など門跡の「供給源」が絶たれてしまいます。内部事情は知るよしもありませんが、現代の三井寺においては、福家家による世襲が確立したように見えます。

 であるなら、俊彦氏の子息による継承もありうるのか。氏は「現在、わが家は、長男と次男が大学で家を空け、三男とぼくたち夫婦だけで生活・・・」と、家族構成を明かしています。勝手な憶測ながら、福家5代目長吏という可能性もありそうです。

 そういえば昨年、同じ大津の石山寺では、鷲尾龍華氏が座主に就任しました。ネット記事によるとこの名刹の歴代座主も、三井寺と同様、皇孫や藤原氏系の名が並んでいて、鷲尾家の名は20世紀に入ってからの4代となります。つまり、三井寺と同じような継承がおこなわれている。どうやら一般の小さなお寺と同様、有名な寺においての世襲も、当たり前の世になってきているようです。

 しかし一方では、今日の仏教界は大きな岐路にあるといいます。宗教観の変化により、檀家のお寺離れ、後継者難による空き寺の増加など、寺院経営に暗雲が覆っているらしい。三井寺は天台寺門宗の本山ですから、それら末寺の諸問題に立ち向かわなければなりません。さらには、仁王門の前のさまざまな「催事」の看板を見る都度、本山も観光寺院として稼ぐべく奮闘しているように見えます。大きなお寺の経営も、大変な時代なのです。一族による世襲化も、実はうらやむべきことではないようです。

 俊彦氏の本は、大津市立図書館で偶然目にしました。氏は「あとがき」でこう書いています。「何かの弾みで本書を手に取られたなら、ペラペラと拾い読みでもしていただければ望外の幸せである」と。

 まさに自分は拾い読みしました。買いもせずろくに読みもしなかった俗人が、そしてこんなことを書いてしまった。申し訳ないと思う。日課のウォーキングは、しばらくは三井寺の方へは足を向けられそうにありません。