カルム千里山

ただの大学生。

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最近の記事

フランクルの夜と霧メモ

収容所にいる囚人は、極限状態になると周囲のことに無関心になる。自分の生きることだけに全集中する。家族や、周りの人が殺されても、それに対して何も感じなくなる。これはその状態になった人でしかわからないこと。 夢で妻が現れて、つまと会話する。ここから、妻=愛する人がいるということこそが、人生にとってもっとも大切なことなのだということを説く。 何があっても、どんなに苦しいことがあっても、それでも人生にYESという。(マリーダさん)ニーチェの生の肯定

    • 映画クレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲から考える大人の幸福

      オトナ帝国は言わずもがなクレヨンしんちゃん映画の中でも名作と呼ばれる作品の一つだ。そこから感じたことを書きたい。 自分の心情としては、敵側に賛同より本作での敵は、ジョンレノンみたいなケンというキャラで、オノヨーコみたいなチャコという愛人を連れている。ケンは、昭和時代を生き、平成の停滞感、未来の無さ、人々から失われた活力に絶望した。そして、昭和に戻るために臭いを用いて日本を侵略しようとする。 このケンの動機にある未来への絶望というのは2つに分けられると思う。一つは、時代に関

      • 「何者かになりたい」の正体

        何者かになりたい。そう思いながら、何かになろうとして苦しみながら、焦りを感じながら生きる人がいる。どれくらいの人がそうなのかはわからないけど、体感だと3割くらいの人がそうなのかなと思う。特に、学生時代に足が速かったり、スポーツで活躍していたりするような人は、大人になってからこの症状に悩まされる人が多い気がする。 この病気の正体は、社会承認欲求にあるのではないかと思う。 つまり、いろんな人に、あなたはすごい人だ。と認めてもらいたい。という思いから、何者かになりたいと考えるの

        • 加齢とともに、徐々に減少する内面から湧き出る活力

          二十代後半になった。 小学生の頃、中学生の頃、高校、大学。そして今。自分はどう変化しただろうか。 昔と比べて、少しだけ、著名人の名前が出なくなった気がする。テレビを観ない生活をして10年くらいなので、そのせいもあるかもしれないが。 それから、もう確実にスポーツ選手にはなれない年齢になった。まあ、中学生からサッカー選手に離れないとわかっていたけれど、物理的に無理な年齢になった。 スポーツ選手だけではない、これから一つの楽器を極めてプロの演奏家になるのも無理だろう。 こ

        フランクルの夜と霧メモ

          先のことと今を考えるバランスの重要性

          将来のこと、5年後、十年後のことを考えることは、誰だってある。もちろん、死ぬときのことや、誰かと分かれることも。 未来について考えるのは、必要なことだ。今だけが楽しければいいなら、仕事なんてしないし、酒だけのんでればよかったりする。 ただ、最近、先の未来について考えるばかりで、苦しくなっていたように思う。 未来のことを考えるのは必要だけど、未来を突き詰めて考えすぎると、今に目がいかなくなる。何より、突き詰めてた先には、死に行き着くはずで、毎回死について考えてたら、そりゃ

          先のことと今を考えるバランスの重要性

          どこまでも空でありたい

          自分をもて、夢を持て、そんな言葉にどこか違和感があった。 自己とは、そんなもの最初から存在しない。というか、自分の意思で選択したり、行動したりしているように見えて、結局のところ、先天的遺伝子構造と後天的経験のすべてによって、今の自分は作られている。つまり、生まれる前の情報と、生まれたあとの外的な刺激の結果、今の自己が形成されているということになる。 そうなると、やはり、最初からあるように思えた意識、自己、というものは実は存在せず、すべてがフィクションで、空虚で、空なのだと

          どこまでも空でありたい

          FIREはマイナスをゼロにするためのもの。プラスにするために必要なこと

          自分も含め、資産をためて仕事をやめるか、ゆるく仕事をしながらアーリーリタイヤするか、といったことを考える人は少なくない。働くことは基本大変だし、ストレスも貯まる。そんな状況から抜け出して、自由になりたいと思うのはごく自然のことだと思う。 しかし、FIRE達成したが、結局お金が減る不安からまた働き出した人や、人との関わりがないとかで働き出した人もいるようだ。実際にもし自分がFIREしたとして、半年くらいは楽しめそうだが、それ以降は同様の思いを持ちそうである。 結局のところ、

          FIREはマイナスをゼロにするためのもの。プラスにするために必要なこと

          全ては思考による

          今が辛い。幸せになりたい。みちたりてない。何が足りないかはわからないけど、何かが足りない。 現状に不満がある。どうしてもうまくいかない。人生にはそういうものがついて回るものだ。 だけど結局、それはそう感じる自分自身がいるからだ。そう思わない自分自身を構築すればいい。 何かをなくしても、もとに戻ったと考える。命も、健康も友達も。全て無くしても、元からゼロだったので、保存則に従ったまでだと思えばいい。 この思考の拡張、柔軟さがあれば、どこでもいつでも人間は強く幸福になれる

          全ては思考による

          社会人はみんな絶望してるから大丈夫

          大学の同期と集まった。 会社の同期ともよく話すことだが、サラリーマンとしての日々の単調さと、ストレスに対して、やはりみんな思うところがあるようだ。 なぜサラリーマンがきついのか。自分の中で理由は2つあると思っている。 一つが、予定調和である。来年の自分、再来年の自分、60歳の自分が簡単にイメージできてしまう。予測できる未来ほどつまらない人生はない。別に転職したとしても、そこでまた予定調和が発生するだけで、一時的なしのぎにしかならない。逆にこれまで学生であったころは、強制的

          社会人はみんな絶望してるから大丈夫

          詩 僕が死ぬとき

          僕が死ぬとき、僕は何を思うだろう 死にたくないと、叫ぶのだろうか まだ生きたいと、願うのだろうか またね、と笑うのだろうか きっと僕は、生まれたときと同じように いつのまにか、死んでると思う 夜眠るときのように 朝起きるときのように 命なんて大したものじゃないから それでいいんだって思いながら いつのまにか、消えているんだと思う。

          詩 僕が死ぬとき

          意識 感情 共感 幻想

          映画、アニメを見て感動するのはそもなぜだろう。 それは端的に言えば他人の感情を想像して、自分でその感情を再現することができるからだと思う。 例えば、実際に自分自身が体験したわけではないが、愛する人が死ぬという展開の映画があるとする。これを見た人は、愛する人を失ったという体験を、自分の中に運び込んで、置き換えを行い、自分自身の愛する人が死ぬ瞬間を想像する。そうすると、悲しいということがわかる。そこから、映画の中の人も同様にこの程度の悲しみを感じていたのだろうと思うことができ

          意識 感情 共感 幻想

          からだでしかない、信号でしかない

          命がある。精神がある。魂がある。 そう思わせることが、トリックだったのか。 それに気がついたら、何処へ行けるのか。 気が付かないことが、人間なのか。 僕はどうしようもなく、からだでしかない。 僕はどうしようもなく、信号でしかない。 予定調和のフィードバック。 あらかじめ決まっている答えを、思考によってなぞる。 僕はどうしようもなく、からだでしかない。 僕はどうしようもなく、信号でしかない。

          からだでしかない、信号でしかない

          現実との結びつきの強度

          日々いろんな人と出会う。 色んな人の考えがある。 僕は、いろんなことに執着してしまう方だと、周りと比べて感じる。 昔言われたことを覚えてたり、できなかったことや、競争に負けたこと、悔しかったことをずっと覚えている。 常に、何かを成し遂げてやりたいと思ってしまう。 でも、そう思わない人も沢山いる。 友達の中には、やりたいことも特にないし、ただ何となく生きてるみたいな人も多い。 どうして彼らと僕はこうも違うのかといつも思う。 ひとつの仮説だが、現実との結びつきなのではない

          現実との結びつきの強度

          地元に帰るのをやめた話

          フルリモートで働いているので、実家でリモートワークももちろん可能である。 地元が札幌であったことは、立地だけで言うなら北海道の札幌以外の都市で生まれ育ったよりは恵まれているといえる。なぜなら東京よりは劣るが、とりあえず仕事はあるし、地下鉄も3路線あり、インフラも整っている。夏はすずしいし、地方都市ならではの人はそれなりにたくさんいて、かつそんなにごちゃごちゃしてないけれど、街中に行けば映画やデパート、美味しい飲食店が多くある。家賃も安いし、やはり慣れ親しんだ街のほうが愛着も

          地元に帰るのをやめた話

          なんとなく時が過ぎて死んでくだけ

          情熱、夢、目標が、どんどんと薄れて、遠のいて、なかったことにしようとしている自分がいるような気がする。 働いて。それなりに金をもらえるようになった。 社会的地位。安定。現状には大きな不満はない。 大きな不満がないから、ここから何処かへ行こうという強い動機もない。 けれど、ここにいたら情熱は薄れていくなという確かな感覚だけは確かにある。 仕事のせいだけではない。仕事が終わったあとでだって、情熱を傾けられるものがあればそれにいくらでも時間を使うことができるはずだ。 だけど、き

          なんとなく時が過ぎて死んでくだけ

          歴史に名を残したとて

          一体それになんの価値があるのか。 そもそも、生きることに価値があるのか。 残るとして、残るのは何年くらいなんだろう。地球がなくなっても、残り続けたりするのだろうか? 歴史に名を残そうとしてなくて、名が残ってしまったのなら、仕方のないことだけれど。 だけどきっと、名を残すことだけに人生を捧げても、苦しむのは目に見えてる。 私が生きたことは、後世に残りはしないだろう。 それでいい。 特別でもない。ただ一つのくだらない命。 どうしようもなくなんの価値も意味もない、ただ一つの命。 そ

          歴史に名を残したとて