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自己紹介的な何か(概要)

生まれ育ち

北海道の札幌で生まれた。
出産予定日よりも2週間も早く産気付き、難産で15時過ぎに産まれ、母子ともに危険な状態で数週間保育器で育っていたという病弱っぽい経歴がありながら、身体が大人になる中学くらいになると健康そのものという。
小学時代くらいまで呼吸器系の疾患や皮膚系の疾患、アトピーなど色々と手のかかる子供だった。
アレルギー検査をした結果、ハウスダストや化学物質アレルギーが酷いらしく、病弱だった頃は住まいも団地で近くに清掃工場があり、そういうのも悪かったのかなと考えてる。
小学に上がる頃に一軒家に引っ越し、食生活などもあり、徐々に健康体と言える身体になった。
早々に病弱だったこともあり、自分は将来は身体で稼ぐのではなく、頭で稼ぐと決めたのもあり、自我が目覚めたときには、身体よりも頭が自慢な傾向が強い少年だったが、身体もデカかったので、自覚なく結構暴れるとクラスや学年でも抜きん出たりしていたけど。
小学、中学、高校と札幌市立というずっと公立な人。
小学時代に東京の大学進学を親に直訴しており、それに向けてずっと勉強していた。
恋愛なども普通に通過儀礼として高校時代までに済ませてある。
たぶん、俺のこと好きだった女の子とかも居たと思う。
でも東京の大学に進学して東京で就職するつもりで生きていたので、かなりクールに突き放してきたんじゃないかな。

人生初挫折

ほぼ挫折することなく人生を送っていたと思う。
高校時代に恋愛に破れ、その流れで、受験に失敗した。
一年浪人して希望の大学というか1校しか受けてない(滑り止めはセンター試験の成績と受験の手続きしたところが1校かな)けど受かったが、親の不仲な精神衛生上悪い環境から逃げ出したかったので、専門学校とか浪人せずに上京する手立てを色々と模索してすべて潰された結果、その後の15年くらいを決定付ける経験をすることになる。
たぶん俺の人生の中で高校2年から浪人1年間の3年くらいで小説何冊か書ける。
まあ、ここでは割愛する。

浪人時代

区の図書館や北大の図書館などで勉強していたと思う。
予備校も通っていて、札幌駅の北口にある代々木ゼミナールもよく行った記憶がある。
中学時代から別の高校だったが近所なのでよく遊んでいた仲間が揃って浪人だったので、図書館や代ゼミに行かないときは、集まってポーカーだとかゲームばかりしていた。
そして、札幌駅に行き、悪友がパチンコに誘う。
ビギナーズラックで勝ち、親父もパチンコにハマっていたが俺も随分長い間パチンコ屋に通う人生を歩むことになる。
まあそんなろくでなし人生の始まりっぽい感じだったが、集まっていた仲間も全員第一希望の大学に受かり、それぞれの人生を歩むことになる。
不思議なことにあんなにずっと一緒にいたのに、受かってバラバラになってからは二度と会ってないな。

大学時代

親の元を早く離れることと親に負担に無いようにと色々配慮して都内の国立理系大学に進学する。
たぶん、全然別の人生があっただろうなと思うことはよくあり、中退することになり、後悔から何度も夢にみたが、今は後悔はない。
大学時代は学祭委員、軽音楽部などに所属し、そのうちバイトとかが忙しく楽しくなっちゃって、結局中退することにした。
パチンコの他に住んでたとこが府中だったので、競馬も始めた。
ある意味終わりの始まりだ。
大学時代の友人とFacebookで再会し、たまに呑みに行ったりしてる。
社会出るとまあ大学時代ってあんまり関係ないが、大きな会社だと大学閥とかあって、DoCoMoが現場のときは事業部長が大学の先輩にあたり中退者でも目を掛けてくれたりしたな。
某研究所の助手バイトから某編集プロダクションのバイトに移り、そこで手に職というか俺の才能を見出してくた人がおり、社会に出れた。

文筆家時代

理系で生きてきた人間なので、書く能力に関してはナチュラルな能力のみだった。
まあ、隔週、月刊の締め切りに追われる生活が2年続いた。
途中から週に3日程度、転職のために夜間オペレーターのバイトを始めていたので、ピーク時は3日に1回しか家に帰ってなかった。
朝7時にオフィスの椅子で寝て、みなさんが出社する10時に叩き起こされる毎日が続いており、続くわけないなと思っていたのと、スポンサー様の意向が効いた文章を書かないとならないのがストレスだったので、夜間オペレーターは転職のための勉強時間にも割いた。
2年居て、辞めるときに別の大手の編集社に紹介状を書いてもらえる段取りを社長がつけていたらしいが、あっさり辞めた。
辞めた翌日から、夜間オペレーターをしていた会社にお世話になることになっていたからだ。

正社員は犬と思っていた時代

その後、正社員の道に至るまで険しい道程を生きてきた。
7次請けで手取り20万ないくらいの給料でライター時代よりもずっと少なかったのでサイドビジネスを始めて、寝る時間を削って働いていた。
一時期、サイドビジネスの方が多かったりもした。
氷河期時代のど真ん中で随分足掻いて生きてきたと思う。
29歳くらいで結婚しようと思っていた女と別れて、頑張った結果3次請けのところと契約して手取りが倍増したくらいから、たぶん何かのタガが外れた。
結局、今でも独身だが、今は正社員となり、割と仕事も出来ていると思う。
この時代は不毛でもあり、この時代に足掻かないと今はない。
尚、相当辛かった時期でもあり、自殺志願者であったのと自殺未遂が数回あったり、精神的には超不健全だったと思う。
細かくは触れないでおこう。

正社員になった時代

人生において、会社を普通に応募して受けたのは3回。
全てにおいて知り合い経由であった。
正社員になったきっかけも友人に誘われて。
まあ超絶ブラックだったので、身体壊して辞めて半年くらい転職活動しながら療養していた。
初めて普通の転職活動してSESというところに入った。
まあ好きにやっていたので良かったが、搾取されるのはいいとして、妬む奴らがホラ吹いて俺を貶めて足を引っ張るのに耐えられなくなり、そこそこ楽しんだが辞めて友人のところに戻った。
が、以前の会社ともだいぶ変わっており、小さい会社なのに足を引っ張る人間がいて、結局肩を叩かれることになり、完全に社会からドロップアウトすることにした。
震災のあと、友人が自殺したこともあり、そういう行為は仲間うちで厭忌となったのでそういう考えは生じなかったが、ちょっと社会で働いていくことに自信を失いかけた。
が、1年半の給付金が切れたあと半年くらい日雇いでその日生活をしたときに日雇いするには俺の能力はオーバースペック過ぎるなと思った。
社会の最底辺を見てきたが、黙って手を動かせばいいのに他人を貶めないと気がすまない人たちばかりで最底辺で生きる方がストレスやばそうだと思った。
そうしてるときに友人がいい加減に働けと自分が出てる現場の面接を手配してくれた。
月給は言い値だった。
現場は金融系のシステムエンジニアね。
契約社員だけど社会復帰。
上が独立系SIerだったんだが、余りに糞だったので、早速転職活動し、2回目のちゃんとした転職活動で勝利し、正社員採用が前職。
社長が糞でまた転職活動し、今の会社に至る。

独身貴族に至り

もう結婚とか諦めてるんじゃないかとたまに聞かれるが全然諦めてなかったりする。
だからって相談所に登録したりとかはしてない。するつもりもない。
まあそれはいいか。
よく生きてきたなと思うけど、兎にも角にも『基本が大事』であることはずっと何をするにも礎になってきた。
職もライター、カメラマン、デザイナー、企画、システムエンジニア、マーケ、教育など色々やってきたが、全てにおいて『基本が大事』である。
きちんと基本を独学やセミナーなどで勉強してきた。
人生は此れ勉強である。
たぶんその源はガキの頃からずっとある『好奇心』である。
ギャンブル、博打は正社員は犬と思っていた時代で辞めた。
最近はレジャーで競馬とかもいいかもなと思っているけれどもね。

自己紹介っぽい何かになるかと思って書き綴ってみたが、あんまりおもしろくないね。w


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