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敦くんと院長先生

※はじめに断っておくと、これは『文豪ストレイドッグス』の第39話(コミック)ならびに「BEAST(小説)」のネタバレです。悪しからず。


主人公の中島敦は「月下獣」という虎に変身する異能をもつ。そんな彼と、彼の育った「孤児院」の院長先生との関わりが描かれた第39話を読み終えたのは、4月の頭。
わたしの身体中を、強い感情が駆け抜けるのを感じた。それは、怒りだ。

これまでに描写されてきた敦くんの記憶のなかの院長先生は、理不尽と残虐の塊だった。幼い敦くんに体罰を繰り返し、閉じ込め、彼の生きる価値を否定した。敦くんは「孤児院」を出た後もなお、いつもその背後に院長先生の冷酷な声を聞き、自分の価値を否定しなければいけなかった。
敦くんにとって、院長先生はただ恐怖と憎悪の対象であるだけでなく、彼の世界の支配者だった。
決して逃げることのできない、それは桎梏であった。

第39話で明らかになったのは、院長先生が死んだことと、院長先生は敦くんに強く生きてほしいと願っていたことだった。
院長先生自身、敦くんのそれ以上に理不尽で残虐な環境で幼少期を過ごした。そして、それを糧にして生きながらえた。

「地獄が、子どもを正しく育てる」

親を失い、自分で制御できない虎になって暴れてしまう生を受けた敦くんが、それでも強く生きていくには同等の地獄が有効だと、そう信じて、院長先生は敦くんを虐げた。
私を恨め、決して己を恨むな、と。

逆境体験を糧にして、強く生きる姿の美しいことに異論はない。人一倍苦しんで、人一倍努力して、やっと手に入れた強さは、美しいものであってほしい。
施設に暮らす子どもたちの多くは、いや、おそらくそのすべては、そういう理不尽さを背負わされている。だから今必死で生きている彼らこそ、いつか報われなくちゃいけない。そうなれるよう、わたしたちは彼らのレジリエンスを育てる支援をしているのだろう。

でも、その逆は正しくない。
美しい強さを得るためには、理不尽に耐えさせるべきというのは、違う。
養育者として、次世代を育てるこの社会の大人として、子どもたちに逆境を強いるのは。それはもう、断じて違う。

それってあまりに短絡的だ。
苦しかった過去を、子どもを使って正当化することで、よきものに昇華しようと足掻いているだけだ。
そんなもので、あなたの苦しみは報われない。
あなたの苦しみの根源が取り除かれたときにこそ、あなたはようやく自由になれるのだ。誰かから押しつけられた苦しみから、真に解放されうるのだ。

外には私が芥子粒に見えるほどの悪鬼が蠢いている、とあなたは言った。
でもそれは誤算だった。あなたは敦くんにとって、芥子粒になり得ない。あなたこそが彼の恐怖の原点だ。父とは、桎梏とは、そういうものだ。

本編は、敦くんが院長先生の死を悲しむことを自分に許せたところで終わる。それは彼にとって必要な喪失の作業であったと思うと同時に、敦くんの受けた仕打ちがどこか正当化されてしまったような、その苦しみが軽んじられたようなもどかしさを、わたしは拭えなかったのだった。


それで、今日読んだ「BEAST」。
パラレルワールドなので多少の設定の違いはあるものの、院長先生が死んだことと、院長先生が敦くんに強く生きてほしいと願って地獄を与えたことは変わらない。

混乱のさなかにある敦くんに、ある人がかけた言葉に救われた思いがした。

暴力に基づく権威づけ。恐怖による支配。それがどれ程効率的で汎用的かは、この私が誰よりよく知っている。故に断言する。そんなものを教育に使ってはならない。大人としての最悪の蛮行だ。

そうなのだよ。よくぞ言ってくれた。
でも欲を言えば、それを本編で言ってほしかった!

マフィアだの武装探偵社だのが、穏やかでない異能でバチバチ火花を散らす世界に、倫理観やポリコレを持ち込むなんて野暮なんだろうけれど。
それでも。

第二、第三の敦くんがこの本を手に取ったとき、歪んだ価値観に絶望してほしくないから。この苦しみは正当だと、改善を求めるのは正当な要求であるのだと、知ってほしいから。



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