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正解のない海のなかで

サザエさんシンドローム、っていうほどではないけれど。休み明けの前日は小さな溜息がこぼれる。「あー明日仕事かー」って思わず口走る。
電車の時間を調べて(いつもと変わらないのに、つい心配になってアプリで確かめがち)、出発の1時間前にアラームを設定して、明日の荷物を準備して。もいちど溜息をついて布団に入る。

朝(あるいは昼すぎ)、家を出て駅に向かうころには、リュックを背負って顎を持ち上げ、しっかり前を向いて歩く。時々ギリギリになってダッシュすることもあるけれど、気持ちは昨晩よりずっと明るい。なんだかんだ仕事は好きなのだ。

同僚や子どもたち(仕事場は子どもの入所施設である)と顔を合わせ言葉を交わすうちに、段々と体が温まってくる。頭が冴えてくる。そんなとき、わたしは仕事がすごく楽しい。もっと良い働きを、もっと良い貢献を、自分に求めたくなる。応えたくなる。いいことばかりではないし、上手くやれずにいつまでもウジウジと凹むこともしょっちゅうだけど。それでも、仕事をしている時間は楽しい。できたことはわたしの評価になるし、できなかったことはわたしの目標になる。
リュックを背負って顎を持ち上げ、しっかり前を向いて歩く。

いや、前を向いたつもりになっているだけかもしれない。手足をがむしゃらにバタつかせて、溺れかけながら泳いでいる。正解のない海のなかで、どっちが前だか後ろだか、もはや天と地の判別もままならず、でも気持ちはずっと前を向いている。
重たいリュックに引っ張られてバランスを崩し、髪の毛が顔にかかる。服の重みで今にも沈みそう。それでいて楽しいって笑っている。

仕事終わりはいつもヘトヘトだ。宿直明けの日はなおさら。2日分の全力を使い果たして、陸に上がり、固く絞られた雑巾みたいになってふらふらと家に帰る。そしてまた、次の日にはリュックを背負い直して仕事場に向かうのだ。

はたから見たらきっと、ずいぶんと滑稽な光景だろう。あの人どこに向かっているんだろうって。

はて、実際のところ、わたしはどこに向かっているんだろう?

溺れかけのわたしに確かなことはわからないけれど、もう4年はこうしている。泳ぎはじめの頃より、多少は息継ぎが上手になったんじゃないかな。フォームはめちゃくちゃでも、どこかにはたどり着けるようになったのかもしれない。
ひとりぼっちで泳いでいるような気がしていたけれど、思いの外近くに仲間がいることに気がついた。ちょっと先に先輩の足が見えた。もっと先に、目印のような何かが光っていた。これはいよいよ沈むんじゃないかと希望を見失ったとき、引っ張り上げてくれた人がいた。

だからきっと、この先も時々大きな波に飲まれそうになるだろう。美しいフォームなんてものは一生身につかないだろう。
どこへ向かっているのかはわからない。
でも海のなかは楽しい。リュックはもう少し軽くしてもいいかもしれない。

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