頭足人

目覚めは最悪だった。
というか目覚める前に眠っていたのかすら曖昧だ。頭のどこかでじーっと外の音を聞いている意識がずっとあったような気がして、全然寝た気がしなかった。スヌーズを1回だけ鳴らして、観念して起きた。午前6時。瞼がぼんやりしか開かなくて、腫れぼったいのが鏡を見る前からわかっていた。
ひどい顔をしている。

目は開いた。
冷たい水道水で顔を洗って、化粧水を染み込ませて、両手で顔をモミモミして、なんども瞬きをして。ようやく一応起きている顔になった。でも眠い。

宿直明けの眠さは、頭がぼーっとするのもそうだけれど、目の奥が悲鳴を上げている。目の奥、それはもはや鼻なのかもしれないし、耳なのかもしれない。どこだかわからないそこが、ぐっと押されて睡眠を渇望している。眠いのだ。

眠すぎる今日は、家事を一通りやり終えて、早くも夏休みに入った幼稚園児とお絵かきをして遊ぶことにした。
子どもの成長はほんとうに早い。少し前までへなへなの線を描いていただけだと思ったら、ちゃんと丸が描けるようになっている。丸が描けると表現の幅がぐんと広がる。丸が3つあれば顔に見えるし、丸の中に丸を描くこともできる。
今日、初めて丸に手足が生えた。
思わず小さく叫んでしまった。頭足人!

頭足人(トウソクジン)である。
すなわち、丸い図体に手足がにゅるっと生えている、ハンプティダンプティみたいな絵だ。数年前に受けた保育士試験の教科書に載っていた。子どもの絵はなぐり描きから始まり、顔のようなものが登場して、ついに手足が生えて頭足人が誕生する。基底線といって地面などの平らな一本の線の上に、絵を並べて描くようになる。そうしてだんだんと、奥行きや重なりを表現できるようになっていくのだ。

頭足人は、吹き込まれた生命のようだ。
目と口がただそこにあった頃とは圧倒的に違う。頭足人は足で踏ん張って両手を力いっぱい広げて、必死にそこで生きようとしている。なんだかそんな風に思えてしまう。とてもいじらしくて、健気な感じがしてしまう。

ぼーっとした頭も、目の奥の奥の叫びも、にわかに消し飛んだ。頭足人を描いたのだ。
生まれて初めて生の頭足人とご対面して、感無量だった。すごいね、きみ。ばっちり発達してるよ。
ひとりではしゃいでいる自分がなんだかおかしくて、きみの髪の毛をくしゃくしゃくしゃっと好き勝手に撫でくりまわして喜んだ。

記念に名前と年齢を書き記した。隣にわたしが描いたドラえもんがいるけれど(しかも髭の位置に違和感がある)、まあよかろう。またすぐ眠気は襲ってくるけれど、こういう瞬間が好きだ。昼前の穏やかな時間。頭足人の躍動感とともに、瞼の裏に刻んでおこう。

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