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読書から、何を得ようとしているのか

77冊目の本を読んでいる。
今年に入ってから、77冊目。「2021年読書記録」というマガジンをつくって、読むたびに写真を撮って数えている。年末までに100冊読むのが目標だ。
何年か前にも100冊読破に挑戦して、大晦日の日に大慌てで4冊読みきって達成したことがある。具体的な目標を掲げることはわたしのモチベーションを高め、それを達成することはわたしに自信をもたせてくれる。

本を読むという行為は、物心ついた頃からずっと好きだった。ファンタジーの世界はわたしを未知と出逢わせてくれて、あれこれ空想することは幸せだった。いくらでも没頭できた。
だけど、受験勉強や大学生活、仕事。忙しさにかまけて、読書の習慣は次第に遠のいた。本は相変わらず好きだし、気になるタイトルは買い集めたけれど、積ん読が増えるばかり。だから自分でお尻を叩いて、有言実行するしかないのだ。

読書は楽しい。
しかし、時に苦痛だ。

難解な理論を読むのは骨が折れるし、読書に充てるはずだった通勤時間についスマホを見てしまう。『カラマーゾフの兄弟』はわたしが初めて手に取ったロシア文学だったが、入り口で挫けそうになった。

それでも読む。なぜだろう?

100冊読んだという事実がただほしい、という答えをわたしは否定しない。そうやって自分に課した目標を、きちんとやり遂げることで自分を承認してあげられるから。その承認を切望するくらいに不安なわたしがいるのだろう。

そうね、きっとわたしは不安なのだ。
半分やけくそになりながらも、必死で本を漁り続けるのは、自分の手のなかに足りない何かを見つけようとしている。
わたしが経験しえなかったこと、考えが及ばなかったこと、知りえなかったこと、そういう圧倒的な「不在」がわたしを不安に駆り立てる。だからわたしより賢い人たちの書いたものに縋る。
肉眼で見えない世界を、本という魔法の窓から覗き込む。そうすればきっと、読む前より賢くなれるんじゃないかって期待している。

でももちろん、わたしは知っている。魔法なんてないってことを。
新しい世界を知った感動も、実践的な知識も考え方も、時間とともにかなり忘れる。記憶に残り続ける格言もたしかにあるが、ほんのわずかだ。大好きだった小説さえ、往々にして結末を覚えていないものだ。
だからほんとうは、気休めなのだ。
わたしが一生懸命本を読むのは、胸の奥でざわつく不安をなだめ、明日に希望をもつための。

残りの23冊読み終えた後も、わたしはきっとわたしのまんま。
それでいい。賢くなる魔法はなくても、覗き込んで見えた世界は、わたしを少しだけ豊かにしてくれるような気がしているのだ。

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