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いい夢は思い出せない

宿直明けの朝に。目覚ましが鳴るより前に子どもに起こされ、うつらうつらと再び眠りに戻っていく。夢の続きを見る。あるいはそんな気がしただけで、まったく新しい夢だったかもしれない。

これまでに再生された夢の内容のほとんどを、わたしは覚えていない。ぼんやりと寝ぼけた頭が、霧が晴れるように冴えてくるのに従って、夢はすうっと帰っていくのだろう。まだぬくもりの残る枕のなかへ。あるいは深い夜へ。

とはいえ、いまだに覚えている昔の夢もある。

幼いころによく見た悪夢といえば、大きな球体が迫ってくるというものだった。それが重いのか、固いのか、速さや進路などディテールは全然思い出せないけれど、ひたすらに恐怖だった。目の前に「ある」圧迫感と、わたしがどれだけジタバタしたって逃れられない無力感が身体中を襲う。そこには物語も登場人物もなくて、圧倒的な恐怖をわたしが全身で感じるだけだった。
実際のところ、迫り来る球体には重さも固さもなかったのかもしれない。そもそも存在すらしなかったのかもしれない。
怖い夢から目覚めて父に泣きついたとき、父は決まってこう言った。
「大丈夫やで、お父さんが守ったるからな」
気休めになったのかどうだか、それも覚えていないけれど。

もっとはっきりとした夢もある。車(もしくはハンドル付きの魔法の絨毯)を運転する夢だ。わたしは弟と2人で車を運転している。子どもだったから当然、無免許運転だ。サーキットの街で育ったのでゴーカートくらいは走らせた経験があったが、そんなものは何の役にも立たなかった。かろうじて車を直進させることはできたが、スピードをコントロールできない。驚くほど左右にブレる。子どもが運転していることを周囲に気づかれるのではないかとはらはらしている。
決定的な何かが起こる前に、夢はおわってしまう。だからわたしの頭に残るのは、ただただ何かが起こりそうな予感という恐怖だった。
大学生のときに免許を取り、今やゴールド免許所持者のわたしだが、完全なるペーパードライバーなのはきっとこの夢のせいだろう。自転車より速いスピードを操縦するのは怖すぎる。

いい夢は思い出せない。
そもそも、いい夢は覚めてしまった途端に残念な夢になる。現実だと思ってぬか喜びしていたことを知り、必要以上にがっかりするのだから。
その点、悪い夢は覚めた途端に安堵をもたらしてくれる良さがある。現実はもっといいよ、わけのわからない球体が目と鼻の先に迫ることもないし、なんといってもわたしはゴールド免許を持っている。ペーパーという生き方を選べる。

なぜ夢をみるのだろう。
現実ばかりを見ているとしんどい。だから眠りのなかで錯乱して、気を紛らわせているのかな。良いものが悪く、悪いものが良くなるあべこべの世界に意識を委ね、流されながら心を癒すのかな。

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