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雨なのに。

台風16号が傘の下に潜り込んできて、わたしの足を容赦なく濡らす。ユニクロのキャミソールサロペットのつるつるした生地が、ひんやり足に張りついて体温を下げる。
この激しい斜めぶりの雨のなか、仕事の用事があって短時間に何度も何度も外を歩いた。そのたびに足元を冷やし、乾いたかと思えばまた濡れる。風に前髪を荒らされ、思わずため息を洩らしたのは数知れず。
要するに、気分は最悪だった。
そもそもわたしは雨が大嫌いなのだ。

雨の日の気分を上げるために買ったお気に入りの傘は、メリーポピンズが差したらよく飛べそうなかわいらしいアーチのシルエットで、持ち手は太くて角ばっている。大ぶりの花柄が頭上に踊る。普段洋服で冒険はしないけれど、それで気持ちだけでも晴れるならとド派手な傘を選んだのだ。
その傘も風に押されて視界が濁る。
やっぱり雨はきらいだ。

それなのになんだか浮き足立っているのは、長かった緊急事態宣言が明けたからだろうか。明けたからといって急に旅行に行けるわけでも、気楽に外出できるわけでもないけれど。仕事場の子どもたちから部活の活動時間が延びたり、アルバイト先で深夜営業が再開したりするのを見聞きするにつけ、知らずしらず身につけていた手足の枷がするっと外れていくような感じを覚えた。
そう、今は緊急事態だったのだ。
ニューノーマルが叫ばれて久しいが、自由を差し出して耐えるのはあともう少し。まだもう少し。だけどそれはノーマルではない。もう少しのその先に、わたしたちはわたしたちの自由を必ず取り戻さなくてはいけない。うっかりこのまま無力化されてはいけない。

なんだかソワソワ落ち着かないのは、あるいは今日が運動会の前日だからかもしれない。もちろんわたしは主役ではなく保護者枠だけど。大雨でグラウンドはぐちゃぐちゃだけど。明日にはきっと水が捌けて、気温もぐっと上がって。青空を横切る国旗の群れとか、借り物のテントとか、天国と地獄のBGMとか、組体操の緊張感とか。そういう運動会特有の空気感が、前日のうちからわたしの鼻先に漂ってきているような錯覚がある。
今日は帰ったら望遠レンズの使い方を練習しよう。毎年必死でカメラを回すけれど、あまりにも豆粒サイズでしか捉えられなくてもどかしい思いをしていたのだ。

雨雲が去り、風だけが吹きすさんでいた帰り道。傘を片手にぶらぶらと振り回しながら、マスクのなかでたぶんわたしはニヤけていた。
緊急事態宣言からの解放とか、運動会とか。それもある。でもきっと、もっと単純なことだ。
帰る間際、子どもたちとお喋りをしてすごした数十分。わたしの異動ですっかり関わりがなくなってしまった子たちとの偶然の再開だった。いつのまにか背を越されていて、お化粧やイヤリングで大人びていて。一緒に過ごさなかった2年間、彼女たちが濃密に生きてきたことを感じた。
変わらない眼差しを受けて、それでうれしくなったのだ。

雨なのに。
大嫌いな雨だというのに、こんなにも満ち足りた気持ちになったのはだから、そういうわけだ。

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