見出し画像

アメリカの片田舎の中学生と通学事情

黄色いバスに乗っていた。
父のアメリカ駐在に家族で帯同し、カーネル・サンダースのお膝元で中学生をしていたときだ。

ビビッドな黄色い車体を横切る黒いストライプ、SCHOOL BUSの文字。2人掛けの黒いシート。窓から涼しい風が吹き込んでくる。
農場の側の道を通るときは、牛のウンチのにおいも一緒に吹き込んでくる。その度にわたしは慌てて口呼吸をしたものだが、誰も窓を閉めようとは言い出さなかった。牛の肉を食べ乳を飲むのだから、においも受け入れよということだったのか。あるいは今でこそ乗客がバスや電車の窓を開閉するようになったが、当時は自分で窓をどうこうしようなんて誰も思い至らなかったのかもしれない。
窓から入ってくるのはウンチ臭だけじゃなかった。住宅街に入っていく小道のサイドには緑が生い茂っていて、お構いなしにバスが突き進んでいくものだから、よく葉のついた枝が隙間からガサガサと入り込んできた。
給食はピザやハンバーガーにフライドポテトやマッシュドポテト。ジャンキーなものばかり食べ、移動は基本車。それでもこの地に生きる人たちは、自然と隣り合っている。

スクールバスは、毎朝家の前でわたしを乗せてくれた。二重扉の手前だけ開けて、ガラス越しにバスが角を曲がって来るのをじっと待つ。

あるとても風の強い朝にいつものようにじっと通りを見つめていたら、家の前に出してあったキャスター付きの大型ゴミ箱が横転したことがあった。これではまずいと思って(というのも、ゴミ収集車は大きなアームでゴミ箱を持ち上げ、中身を回収していくからである。ゴミ箱が倒れていてはきっとうまく掴めないだろう)直しにいくと、通りすがりの中年女性に何事か叫ばれた。きっと "Hurry up!" だとか "Come on!" のような言葉だったのだろうと今になって思うけれど、そのときは急に怒鳴られたものだから動揺してしまって全然聞き取れなかった。するとわたしの後ろから、子犬が小走りでわたしを抜いて女性のもとへと向かっていった。怒鳴られたのはわたしではなかったようだ。ドキドキしながら玄関へ戻った。

同じバスに、わたしより早くからアメリカで暮らしている年上の日本人Aちゃんが乗っている。Aちゃんの方が家が遠いので、行きは先に乗って帰りは先に降りていく。わたしが隣に座ると、左の耳からイヤホンを外して渡してくれる。最近Aちゃんがハマっているビジュアル系バンドの曲が左耳から流れてくる。朝のバスは静かだ。みんなまだ眠たくて、頭がぼーっとしているからだろう。ピンクや紫の奇抜な髪型のミュージシャンたちが濃い唇を動かしながら歌うさまを想像しながら、わたしもうつらうつらと二度寝をする。
多くの人に経験のあることだと思うけれど、バスや電車の振動は睡眠を誘う。そしていつの間にか寝てしまうけれど、目的地に着く頃に自然と目が覚めるのだ。不思議なものである。
しかし、一度だけ例外があった。

耳から流れ込むV系の歌声を子守唄にして、Aちゃんとわたしは例によってうたた寝していた。どちらが先に起きたのかは覚えていないけれど、わたしたちは蒼白になった顔面を見合わせた。
バスにはわたしたち以外誰も乗っていなくて、その事実に運転手はまだ気づいていない。バスはちょうど中学校を出て、大通りを走っているところだった。

強面の運転手は乗客の中学生たちに名前を聞かれても「Mr.バスドライバー」としか教えてくれなかった。基本的に無口で、でも帰りは誰も降ろし忘れずに正確に家に届けてくれる。時々話すときは低い声でがなりたてる。たいていバックミラーをギョロっと睨みつけながら、詮索好きな中学生を "Mind your business!" とあしらっていたっけ。
Aちゃんは「どうしよう」と不安がりながらも、バスが赤信号で一時停止したタイミングでわたしたちを代表してMr.バスドライバーに声をかけてくれた。

Mr.バスドライバーは今まで見たことのないようなびっくりした顔をしてわたしたちを見つめ、そしていつもの調子で大声で怒った。ちゃんと降りるべきところで降りろ、とかなんとか。もしかしたら、この日も "Mind your business!" だったのかもしれない。
わたしたちはバスが引き返すのを肩身の狭い思いで待ち、Aちゃんはわたしに「降りるとき、Sorryって言うんだよ」と年上らしく忠告した。わたしは頷いて、実際Aちゃんに続いて階段を降りながらSorryと言った。もうほとんど人のいない中学校のバス乗り場に降り立って、Aちゃんが聞いた。「Sorryってちゃんと言った?」

わたしは再び頷いたけれど、このときのやり取りをいまだに時々思い返す。
わたしは声が小さくて、英語だと自信がないからなおさら小さくなる。きっと聞こえなかったんだろう。Aちゃんがそうならば、きっとMr.バスドライバーもそうだっただろう。朝から能天気にぐうぐう寝過ごして気の利いたことの1つや2つも言えず、ずいぶん間の抜けた日本人と思われたことだろう。

それから何日か、わたしたちはなるべく寝ないように気をつけた。バスの心地の良い揺れの誘惑には結局抗えないけれど、幸いにも二度と乗り過ごすことはなかった。Mr.バスドライバーの方も、毎朝ドアを閉める前にバックミラーをギョロっと睨んで降ろし忘れがないか確認していたと思う。

高校に上がるとき、メキシコとの国境の町へ一家で引っ越した。高校にも同じ姿のスクールバスが走っていたけれど、受け持ちのエリアが広すぎるためか我が家の前を通る時間があまりに早く、母に毎朝車で送ってもらうことになった。歩けば30分かそこらの距離だったけれど、基本的に町の設計が歩行者を想定していないので(そして夏は焦げそうなほど日差しが強い)最初から歩くという選択はなかった。

だからわたしが人生で乗った黄色のスクールバスは、Mr.バスドライバーの相棒だけだった。そう考えると、農場から漂ってくる牛の気配すらも恋しくなったり、ならなかったり…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?