見出し画像

自我を失うのが怖かった

何か大きなものに身を委ねてみたくなる。
たぶん、疲れているんだろう。

ふだんは自立した人間として認められたくて、背伸びしているくらいなのに。
でもみんな、1日の終わりには眠るのだ。意識を手放して、夢のなかに身を委ねる。頑張った日には、ふんわり柔らかな布団に包み込まれて胎児のように眠るのだ。

今やコロナの世だからすっかりお酒の席とも縁遠くなってしまったが、かつて大学生だったころは毎週のように飲み会に出ていた。
何が面白いわけでもないのに、次々に瓶ビールを空けては騒ぐお祭り騒ぎだった。飲みかけの小さなグラスと、当時好きだった「カピバラさん」の輪郭そっくりの栓抜きの穴と、運び出されていく空の瓶たちの鳴る音と。小さな小さな世界のなかで、わたしは時間がすぎるのを待っていた。大きな声を出すのも、会話を回すのも、空気を読むのも、ビールを飲むのも、なんとなく好きになれなくて頑張れなかった。
でもきっと、わたしがなにより恐れたのは意識を手放すことだった。派手に呑んで呑み込まれて、ヘベレケになって自我を失うのが怖かった。馬鹿になったら楽しかったのかもしれないが、わたしの知らないわたしが他者の前で振る舞うのを許せなかった。
意味のわからないことを口走ったり、呂律が回らなくなったりして笑いあうよりも、わたしはわたしでありたかったのだ。それがつまんない時間を耐えることであったとしても。それがつまんないわたしとして認識されることであったとしても。

転職して4年が経った今の仕事は、月の半分は泊まりがけ。宿直とはいうものの、睡眠時間はよくて4時間。宿直明けの日は炭酸やコーヒーで騙し騙し正気を保っている。ひたすら眠くて、しんどくて、ぼんやりして、早く帰りたい。労働環境についての議論は別の機会に譲るとして、かつて酒に呑まれて自我を失うことをあれほど嫌ったわたしは今、どうだろう?
良質な睡眠を確保していたとしても、起床から13時間も経てば「ほろ酔い」状態同然なのだと聞いたことがある。3、4時間の睡眠の果てにぼやぼやした頭で働いて、半分自分じゃないような感覚すら覚える。
わたしは今、わたしであれている?

眠らずに働いて、じわじわと意識を手放している。大好きな仕事だけど、知らないうちに自分が蝕まれていくようでちょっと怖い。だから時々、布団のなかに逃げ込みたくなるのかもしれない。ふっと意識を手放して、何にも傷つけられない安全な世界で夢を見る。歯ぎしりがひどくて、マウスピースが手放せないけれど。

仕事場で、子どもとバランスボールをした。
覆い被さるようにお腹を乗せて、ゆらゆら動く。ぐったりのんびり伸びる。

何か大きなものに身を委ねてみたくなる。
たぶん、疲れているんだろう。
たぶん、自立した人間には休息が必要なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?