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人類皆坊主の世界線を渇望したことがある

生まれてこのかた、わたしは髪を染めたことがない。パーマは大学時代に当てたことがある。でもカラーはない。ずっと黒。真っ黒だ。

小学生のころ、自分の髪がきらいだった。どのぐらいきらいだったかと言うと、地面に伸びる自分の影を見て「世の中みんな影だったらいいのに。髪が生えているかどうかもわからなくなるから、坊主でいいし」とか、「毛がない世界線だったらよかったのに。…でも睫毛がないのは困るな」とか空想してはため息をつきながら通学路を歩いていた。せーのでみんな坊主になったらどんなにか楽だろうと願ったのは一度や二度じゃない。
当時のわたしは、自分の髪の毛がとても平凡でつまらないと思っていた。黒い直毛を肩の下まで伸ばして耳の上でツインテールにして、前髪は眉上でぱっつん。母がいつも切ってくれて、美容室に行ったことがなかった。癖毛や色素の薄い髪をもつ友だちがすごく羨ましかった。ないものねだりだったと今ではわかるけれど。

中学でアメリカに渡って、生のブロンドヘアを初めて目の当たりにした。自分の黒髪が余計に霞むような虚しさを覚えながら、色だけじゃなくて髪質もかなり違うこと、なによりもはっきりとした顔立ちがとても映えることに感心したものだった。
そしてある時、昨日まで美しいブロンドだった髪を真っ黒に染めてきた子を見て、わたしは言葉を失った。
何でそんなことをしようと思ったのか、さっぱりわからなかった。美しいブロンドを自分から投げ捨てるなんて、愚の骨頂以外のなにものでもなかろうと。怒りすら覚えた。

でもしばらくして、わたしは気づいたのだった。
元ブロンドヘアのあの子の黒は、わたしの黒とはどこか違う。なんというかすごくべったりとしていて、重たい。
初めて自分の髪を美しいと思えた。
あたりまえのことだけれど、生まれたときから頭の上がブロンドの人には、それが普通で平凡でつまらないのだ。わたしが羨んだように、もしかしたらその子も黒い髪に憧れたのかもしれない。ブロンドが至上だといつのまにか思い込んでいただけだ。
美しいって多様なんだな。価値ってひとつじゃないんだな。思春期にそう気づけたことは、わたしにとって大きな財産になったと思う。

生まれてこのかた、わたしは髪を染めたことがない。小学生のころは絶対染めたいと思っていたけれど、大学生になるころにはこの黒を手放したくなくなってしまった。以来ずっと黒だ。ここまできたら茶髪も似合わない気がして。

2年ぐらい前から温めているささやかな夢がある。いつかママになるときが来たら、金髪にしてみたい。派手な髪を振り乱しながら幼な子を抱いて、電車に乗り合わせた他人に強そうなママと思われたい。
髪だけで印象は大きく変わる。だからこそ、わが子とわが身を守る名目で人生初のカラーリングに挑戦してみたいのだ。
見た目から強い女になってみたい。

今でも時々自分の影を見つめていると、あのころの切実な願いを思い出す。世の中みんな坊主だったら。そういうのもありかもしれない。

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