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実録★本気の片付け

1週間の休暇を手に入れたので、当然家を片付ける(鼻息荒め)。
その成果をここに残しておこう。めちゃくちゃ長くなったけど…!

1日め

気持ちを整える

まず図書館へ行って、本を借りて来た。わたし一人ではやりきれないかもしれないから、心の支えを求めたのだ。

押さえるべきポイントを知る

読み始めるより前に、ウズウズしてとりあえずダイニングテーブルに着手することにした。
両端に積み上がる書類と本の山。これがある限りわたしはたぶん苦しみから解放されることはないだろう。そんな確信があったから、何はともあれテーブルの上をまっさらにすることに決めた。そしてそれを死守するのだ。
テーブルの上にあるものをすべてバラして、分類して、いらないものをジャンジャン捨てた。
本の山は夫の積読。本棚に戻してもまた引っ張り出してくることが目に見えている。ならば。
壁側にある夫のプリンターの上に積み直した。紙は窓側にあるコピー用紙の上に。

テーブルの上がすっきりすると、景色が一変する。ただそれだけできれいな部屋になった感じがするのだ。
部屋の両端には相変わらず本と紙の山があるのにもかかわらず。

わたしは完璧に片付いた部屋を求めているんじゃないかもしれない。そうでなくても、ただ中心がすっきりしていたら心が安らぐのかもしれない。
これはいい発見だ。
よし。部屋の中心のダイニングテーブルにおけるクリアデスクを徹底して、末永く安らぎを手に入れてみせるぞ。

図書館で借りた本を1冊読んで、心穏やかに就寝。

2日め

再びモチベを上げる

6時前にトイレで目覚めて、ちょっと二度寝。でも夫が仕事を始めていたのでなんとなく目が冴えてきて、枕元に置いていた2冊めを一気読み。

余白を生み出せ

この日は可燃ゴミの回収だった。あまりゴミが出なかったので今回はパスでいいかなと思っていたが、夫がウサギのトイレを替えてくれていたのでやっぱり出そうと決意。
むくっと起き上がって顔を洗い、冷蔵庫の中身の賞味期限をチェック。少し前にチェックしたはずなのに(いつだったっけ?)、あるわあるわ期限切れの調味料たち。手つかずのまま放置されていたお菓子たちも思い切って全部処分。ああすっきり!

そのままの勢いで玄関へ行き、「洗っても落ちない薄汚れたスニーカー」と「履き心地が悪くて出番が来ないスニーカー」をエイッとゴミ袋へ。やっと手放せた。
靴箱に新たなスペースが生まれてうれしい。
ダイニングテーブル然り、生活空間に余白があるって気持ちがいい。ギチギチに詰め込むと息苦しいのはきっとわたしだけじゃないはず(夫はどうか知らないが)。意識して余白を作るということ、その余白をうっかり埋めちゃわないように強い意志で死守すること。これがわが家の片付けの最重要ポイントかもしれない。

拭きあげる、そして元の木阿弥

広いダイニングテーブルでゆったりとお昼を食べて(ああ快適!)、今度は洗面所を磨く。井田さんの本に掃除は「拭きあげる」と書いてあった。
わたしも拭くのは好きだ。大概の汚れはゴシゴシ拭いたら取れるし、拭いてきれいになったらサッパリする。ぬめりとか茶ばみとかをゴシゴシ拭きあげて、洗面台にしまい込んだ化粧品をザクザク断捨離。
一番上の棚が丸ごと空いて、いつも目的のものを見つけるのにひっくり返していたポケットの中身もすっきりした。いい気分。
リビングの棚の中身も整理。まだ捨てられるものがありそうだけど、夫が帰って来たので中断。

夫氏、ドタバタとPCを広げてオンライン会議の支度をする。あっというまにダイニングテーブルは物で溢れ、延長コードを探してひっくり返した籠が床にゴロゴロ。
よくもまあ短時間でこれだけ散らかせるなと感心してしまう(キレそう)が、適切に物を片付けておかないと「どこにあるかわからない」「取り出すのに一苦労」「出したが最後、もう二度と元に戻せない」の三重苦から抜け出せなくなるんだなということがよくわかる。
会議終わったら絶対にダイニングテーブルの安らぎを取り戻してみせる。ここで挫けるわけにはいかないのだ。

臭いものには蓋を……ではなくて

昨晩眠りにつきながら考えていたことがある。
リビングにある電子ピアノを寝室に移動させたらどうだろうかという思いつきだ。
電子ピアノは、2年前にわたしがどうしてもほしくなって自分のお金で買って、しばらく楽しんだけどすっかり飽きてしまって置物化しているものである。いわばわたしの意志の弱さの象徴なので、毎日目に入るたびに罪悪感が疼く。自業自得なんだけど。
リビングの一等地に己の薄弱な意志のシンボルが鎮座しているのはかなり精神衛生に悪いので、ちょっとお退きいただこうというわけだ。ピアノよ、きみには何の罪もないのにごめんな。

リビングで夫が会議をしているさなかに、音を立てないようにそーっとコード類を抜いて(先程の延長コード騒ぎでだいぶ配線を解除したので却って楽だった)、寝室へと運び出す。
目指すは3段衣装ケースの上。乗せてみたら明らかに長さが違う(ピアノがはみ出すぎる)けど、椅子に座って弾けるちょうどよい高さ!
胎教のためと思って、産休中は練習再開しようかな。休んでもまた再開できるのが本当の継続力だって誰かが言っていた気がするし。
片付けをするうちに、生活のなかの行動が変わるのって不思議な感じがする。片付けって、ただ片付けるだけじゃないんだよな。

ちなみに、ピアノがもともとあった場所(棚の上)は今埃以外なにも乗っていない。新たな、そして巨大な余白である。
ここで注意が必要なのは、余白を埋めようとする勢力に断固として抗わねばならないということだ。決して積読や書類の山に屈してはならない。抗いきれるかな、わたし。

3日め

保つ、維持する

弟の結婚式だったので、準備も含めてまあまあ忙しない一日だった。なので、大掛かりな片づけは何もしていない。
だけど朝起きて、ダイニングテーブルの上をリセットするだけでめちゃくちゃ気分がすっきりした。結婚式から帰った後は、持ち帰った巨大なブーケ(母から譲り受けた)を花瓶に生けて、タオルにくるまれた3000グラムの米(父から譲り受けた疑似ベビー)と弟からのメッセージカードをディスプレイして、なんかいい感じに。ディスプレイなんてものは空間に余白がないとできないことで、それは昨日のピアノの移動によって生み出された奇跡の空間のおかげ。前までのわが家だったら、飾ろうという発想にも至らなかったと思う。だって、飾ったら余計に家がごちゃついちゃうんだもん。
しばらくはディスプレイで結婚式の余韻に浸って、切り花の寿命が尽きたころにまたリセットしようかな。

4日め

夫、スイッチが入る

半日がかりの結婚式でだいぶぐったりしたので、怠惰に過ごす。明日は父母が家に来る日だというのに(結婚式のついでの初訪問。何を隠そう、これが今まさに本気の片付けに追い込まれている真の理由である)。
とはいっても、わたしとしてはもうかなり片づいて満足しているというのが正直なところなのだ。なにもミニマリストな家に大変身を遂げたいとか、息を飲むような美しさで感動させたいとかそういう高い目標は持ち合わせていないので、もうこれで十分。
本が積んであろうが紙がいっぱいあろうが、見た感じすっきりしていたらそれでいいのだ。

と、思っていたのに。
夜になって夫が動き出した。
積んであった本を本棚に押し込み(隙間なんてなかったのに不思議)、ごちゃつく小物を隠し、しまいにはピアノは窓辺がいいと言って再度移動させた(それに伴って窓辺の物たちが一掃された)。すごい。
わたしにとっては実父母だけど、夫にとっては義父母。危機感が違うのかもしれない。

5日め

心地よさを共有する

夫の驚異的なラストスパートのおかげで、家はめちゃくちゃキレイになった。洗面所の鏡も拭いてくれたようだし、出しっぱなしの洗面用品もすっかりどこかへ姿を消していた。超スッキリ。
夫はその後しばらく「このキレイな状態を維持したい」と口にしていて、実際「出したらしまう」という苦手な行動を実践してくれていて素晴らしいのだが、わたしとしては一抹の不安が頭をよぎる。というのも、彼が超特急で「片付けた」のは、出ているものを「しまいこんだ」のであって、しまいこんだその状態が必ずしも使いやすいとは限らないのだ。
まあ実はほとんど使ってなかったものだったらそれで不便はしないのだけど。しばらくは彼の「キレイを維持したい」モチベーションを下げないように、キレイな家で暮らす心地よさを共有していけたらいいな。

1週間あったけど、片付けまつりはこれにて終了。維持するぞー!

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