見出し画像

くりかえしの落とし穴

国語のノートは縦書きだから、漢字の書き取りの宿題が出るといつも右手の側面が鉛筆で黒くなる。左利きの子は反対側に手をつくので黒くならないと知って羨ましくなったけど、国語以外のすべての教科は横書きなので左利きが受けるダメージの方が総体としては圧倒的に大きい。
世の中は、右利きが思っている以上に左利きに不親切なのだ。

世の不条理はさておき、何かを身につけようと思うならばとことん繰り返すことが有効だ。
これは小学生も知っている常識。ひらがなも漢字も英単語も、九九も新しい公式も、わたしたちは不断の努力の繰り返しによって体得してきた。
当たり前すぎて疑ってこなかったし、今だって仕事場で子どもたちに何かを学ばせようと考えたら、根気強く繰り返すことを真っ先に考える。
そうなのだ。それはもちろん真実であって、「繰り返し学習」の一つの側面である。

そして、わたしたちはもう一つの側面をすっかり見落としている。

それは、無意味な(あるいは有害な)行動も繰り返しによって意図せずして身についてしまうということだ。

わたしの仕事場は子どもたちの生活の場だけれど、大人の管理的な都合によってテレビの視聴時間や入浴時間を「あなたは何時から」というふうに割り振ったら、子どもたちは毎日その枠のなかで生活をすることになる。枠が決まっている安心感の力は絶大だし、それが必要なときも確かにある。しかし、何かイレギュラーなことが発生したときに柔軟に思考できなかったり、自立した後に枠のないまっさらな環境で右往左往してしまったりという副作用も大きい。

マイ・バイブル、『生活の中の治療−子どもと暮らすチャイルド・ケアワーカーのために』には、こう書かれている。

治療的環境では子どもに一連の行動を繰り返し行わせるという機会が多い。ルーティンとは、この一連の行動を意図的・計画的に行うものである。子どもに一連の行動を繰り返し行わせた場合、最終的には子ども自らその行動を行うようになるものだと考えられる。ルーティンを計画する場合にはこのことを心に留めておく必要がある。というのは、施設以外の社会で一般的に役に立たない行動を、ルーティンによって教えるほど馬鹿げたことはないからだ。もしかしたらこのようにして形成された行動が、「施設症」(institutionalism)を成しているのかもしれない。だとすれば、施設症を回避することは可能なのである。

子どもたちの生活をアレンジするなかで、わたしたちの意図しないところで子どもたちを「くりかえしの罠」に陥れていないかという自己点検を怠ってはならない。


治療的環境が動脈硬化を起こしていないか?

この言葉が、グサッと胸に突き刺さる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?