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#47 わたしの戦い方を考える|思考の練習帖

目標があると頑張れるタイプを自認してきた。

中学生の頃、毎週の漢字テストで満点を取り続けるために、眠たい行きのバスで繰り返し漢字の勉強をしたこととか。
大学受験に全エネルギーを注ぎ込んですさまじい集中力を発揮した高校時代とか。
社会人になってからもあれこれ資格を取ったこととか。
今だって、年間200冊読破を掲げて綿密な計画を立てている。

目標を定めて、達成のための道筋を立てて、コツコツと積み重ねていくのが好きだった。だからそれが性に合っているし、いつでも目標があることで安心できた。

そう、安心のための目標なのだ。
わかりやすくて大きな目標もいいけれど、小さくてしょうもないような目標でもよかった。目標があるという事実に意味があった。

目標があると、前に進んでいるって実感できる。停滞していない、意味のある自分を信じられる。それが錯覚だったとしても。

昨日、錯覚だったと気づいた。
目標に向かって頑張るわたしの中身は実は空っぽで、前に進んでいるつもりがハムスターの回し車みたいにずーっとおんなじところに留まっていた。
多少の前進がなかったとは言わないけど、もちろんできることも増えたけど、思考停止なのだ。

本をたくさん読もうっていうのも、#思考の練習帖 を99回更新しようっていうのも、そう決めてそれに向かって努力している自分に安心したいだけなのだ。安心してしまったら、そこに胡座をかいてしまったら、もう思考停止なのだ。

「いま」に精いっぱいなのも悪くはないと思う。ある時期には必要なことなのだと思う。
でも、それで安心していちゃいけないんだよな。


結局何がしたいのか、どんな自分でありたいのか。
これは昨日答えが出せなかった問いだ。
昼過ぎまでぐったり寝て、今改めて考えてみると、自信の持てるわたしでありたいなと思う。

とっても抽象的だけど、わたしがずっと夢見ているのはそこなんじゃないだろうか。
偏差値の高い大学に入りたいとか、責任ある役割を担いたいとか、できる仕事の幅を広げたいとか。それらを成し遂げた先で、自信がつくことを期待しているのだ。周囲の期待に応えたり、期待を超えたりすることで、胸を張れるわたしを得たい。
いつも足りないところが気になって、自信を失ってしまうわたしだから、それを超えたい。

だけど、わたしがこれまでに見落としてきたのは、どこまでいっても足りないところに目を向けつづける限り自信は手に入らないということだ。
完璧な存在にはなれない。

それよりも、自分が何ができて何ができないのかを見極めて、身の振り方を決めるべきなのかもしれない。自分のスペックを正しく認識して、足りないものを補う方法を考え、得意なところをもっと活かす。
がむしゃらに走り続けるだけじゃそろそろ体がもたない。これからの戦い方を考えよう。


今日はここまで。

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