非当事者性に向き合う|環状島=トラウマの地政学
ときどき、そっと抱きしめておきたい本に出合う。
一言一句ちゃんと記憶に残しておきたいような、いつでも読み返して迷ったときの行動指針にしたいような。バイブルと言うとなんだか大袈裟だけれど、もしかしたらそんな存在。
本棚の目立つところに置いて、背表紙を眺めて自分のこれまでのあゆみを振り返りたくなるような。
そんな最新の抱きしめたい本が、宮地尚子氏の『環状島=トラウマの地政学』である。
トラウマの環状島とは
ここでは、環状島をモデルとして、トラウマについて語ることを多面的に説明している。
宮地氏の文章には、生々しい痛みを感じる。だから読んでいるうちに段々と苦しく、泣きそうになってくる。内海の何かを感じ取るのだろうか。
トラウマを受けた当事者たちは、〈内海〉から〈尾根〉の間にいる。そして、非当事者である支援者たちは〈外海〉からやってきて〈外斜面〉を上り、〈尾根〉でやっと当事者に出会えるのだ。
環状島に働く〈重力〉は、〈内斜面〉にしがみつく者にのしかかってさまざまなトラウマ反応や症状を引き起こす。
また、激しい〈風〉が吹き荒み、環状島にいる人たちの間の関係に混乱や葛藤を生む(それは当事者同士のトラウマの「重さ比べ」であったり、支援者との間の転移や逆転移であったり、支援者同士の「共感競争」であったり。あるいは傍観者からの「あなたは真実を語っているのか? 語る権利があるのか?」の疑いのまなざしであったりする)。
そして、〈内海〉の〈水位〉は、トラウマに対する社会の否認や無理解の程度だ。トラウマがイシュー化される(社会的問題として可視化される)ことで、〈水位〉は下がり、〈内海〉に飲み込まれる者を少なくすることができる。
当事者ではないということ
わたしはどこにいるのかと問われれば、〈外斜面〉と〈尾根〉の間を行ったり来たりする毎日だと思う。支援者であることを職業としてやっているというのは、たぶんそういうことなんだろう。
わたしは毎日出勤して、子どもたちと顔を合わせる。〈尾根〉を目指すけれど辿りつけない日もあるし、〈尾根〉についたと思っても出会えない日もある。あるいは〈内斜面〉に足を踏み入れて、〈風〉の強さに圧倒される日もある。〈内海〉の底なしの深さを感じて身震いする日もある。
だけど大体は、長い一日を終えて〈外斜面〉を下っていく。安全な場所に帰って一息ついて、エネルギーをチャージして明日に備える。
登山をして下山する日々。
わたしはこれを四年にわたって続けてきて、そうし続けることに意味を見出している。世の中を変えるほどのインパクトはないけれど、目の前のその子の何かにはなれるんじゃないか。いつでも環状島から立ち去れるのが非当事者だけど、だからこそ敢えて居続けること、ウィニコットの言うところの「生き残る」人であることに、わたしはこだわりたいのだ。
だから、わたしが当事者でないということそれ自体について、普段気にすることって実はあまりない。しかし、この仕事に飛び込むときにはすごく悩んだ。それはきっと、〈内斜面〉にいる当事者からの〈外斜面〉のわたしへのポジショナリティの問いかけが、この身に突き刺さったからだ。
内海の過酷さは図りしれない。どれだけ想像力を働かせて、たくさんの声に耳を傾けてみても、わたしは当事者ではない。体験していない痛みをまったく同じように感じることはできない。そこには超えられない巨大な壁があるのだ。それを、わたしは常に理解していないといけない。わかるなんて思ってはいけない。
トラウマの当事者として環状島に閉じ込められている者と、いつでも〈外海〉に逃れられる者とでは力に差がありすぎている。無意識のうちに当事者を抑圧し、力を奪うということが簡単に生じ得てしまう力関係がある。そこに自覚的でいつづけられるのか?
力をもつ者として子どもたちと対峙すること。大人の卑怯さとか狡さとかそういうものを引き受けるということ。「お前に何がわかるか」と問われて、わからないと認められること。
あの頃、わたしはたぶんそれが怖くて踏み出す勇気を持てなかったのだと思う。
非当事者にできること
宮地氏は、研究者・専門家・知識人に期待できる役割として以下を挙げている。
海しか見えないところに環状島を浮かび上がらせるきっかけをもたらす
イシュー化のための概念や用語を生み出し、環を作りやすくする
〈内海〉の大きさと深さを推定・推測する
〈波打ち際〉の特徴を感じ取り、読み解いて、〈内海〉を小さくする
〈内斜面〉の地を這う人たちに上空や外からの情報を渡す
既存の見方とは異なる切り口で環状島を描いてみる
島の土台を支える
〈水位〉を下げる
わたしの日々の登山と下山の実践は、7の「島の土台を支える」取り組みが主だ。子どもたちと日常を織りなしていくこと。その積み重ねが安心・安全な生活をつくっていくのだと信じて。彼らのいちばん近くで、ただそこに居続ける。地味だけど、結局のところそれがいちばん大事なんじゃないかと思うのだ。
そして時々こうやって〈外海〉に向けてnoteを書きながら、環状島の地形を一緒に変えていける人たちが増えていくのを期待している。
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