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魅力的な大人になる方法

モテるための方法論ではない。

人と結びつくことに難しさを抱える子どもたちにとって、「この人なら」と思ってもらえるようになるためにできること。

※子どもたちが抱えている難しさについては、前に書いた以下の記事をご覧ください。

今回はサクッと要点だけ。

子どもの基本的欲求に応える

かの有名なマズローは、人間の欲求は段階的なもので、もっとも低い段階にある生理的な欲求や安全欲求が満たされることで、より高次な欲求が生じると説明している。
それでいうと、わたしの仕事場の子どもたちの多くは、そんなベースとなる欲求を満たしてもらえた経験が乏しい。大人を信じられないのは、大人に与えられたものが安心できるものではなかったからだ。

だからまずは、マイナスをゼロに持ち上げるところから。ゼロはゼロだから、それだけで魅力的な大人にはなれない。そしてスタートはマイナスだから、時に大きな抵抗にあう。
マイナスをゼロにするのは大変だけど、その大変さに見合うだけの報酬もない。そもそも報酬を期待することが間違っているのだけど。
「こんなにやってあげたのに」と思ってしまうこともある。いつまでたってもゼロにすら辿り着かない無力感に打ちひしがれることもある。
魅力的な大人になるのは簡単なことではないようだ。

子どもが魅力を感じる技術を身につける

子どもたちは、遊びを通して多くを学ぶ。遊んで世界を知り、社会を知る。
子どもたちの発達段階に合わせて遊びを提示すること、遊びに誘い遊びを活用することは、大人の役割であろう。そういうときに、「強い」大人の存在はそれだけで子どもにとってヒーローだ。スポーツでも、ボードゲームでも、工作でも、料理でも。
圧倒的な技術は、子どもを圧倒させる。
この人と言ったらコレ、みたいなものがあるっていい。わたしには何があるかな…?
わたしという人間の、これまでの経験が問われる。

子どもが魅力を感じる属性

子どもたちは、「弱い」「面白味のない」「処しやすい」大人より、「タフ」で「刺激的」で「きれる」大人に魅力を感じるという。「きれる」というのはもちろん勉強的な賢さではなくて、時としてユーモアで子どもを出し抜くようなコミュニケーションの巧みさのことを指す。
これは関係性の影響も多分に受けるように思うのだけど(特にわたしは関係性の薄い相手に対してかなりセーブしてしまう傾向があるので尚更)、子どもの目に自分の姿がどう映るのか、自分の言動がどんな印象を与えているのか、ということに気を配るのは重要だ。

間違ったアプローチ4選💔

子どもに好かれようとする

子どもたちは、ただ大人から受け取るだけの存在ではない。いろんなことを要求し、引き出そうともする。その手段が暴力的・支配的なものになることもある。
子どもにとって気楽な存在であるほうが好きになってもらえるのではないか…そんな気持ちで不適切な手段を受容するのは、却って「怖がりで能力のない大人」と見做されてしまうだけだ。言うべきことを然るべきときに言わねばならないというのは、まあこの仕事に限ったことではないけど。

自分も子どもの一人になろうとする

大人を信じられない子どもたちに対峙するとき、自分が大人であるという事実を受け入れることはしんどい。できることならば子どもの仲間としてそこにいたい。
わたしも何度そう思ったことか。
でも、わたしが大人として彼らの世界に入っていくことに意味があるのだ。彼らが大人と出会い、大人と関係を築いていくという経験が必要なのだ。

大人を批判する

たとえば、他のスタッフの悪口を言ったり、子どもの親を批判したり。子どもと一緒になって他の大人の悪口を言うことで、子どもと一体感を得られるかもしれない。かつて子どもを深く傷つけた大人を非難することで、自分はそういう大人とは違うのだと印象づけることができるかもしれない。
でもそれは、支援のチームワークをめちゃくちゃにしてしまう。親をこき下ろすことは子どもに対する侮辱である。

子どもの新しい親になろうとする

無視してはいけない大前提がある。
わたしは彼らの親にはなれない。
子どもたちに私的な約束をすることはできないし、一人だけを特別扱いすることはできないし(それは画一的な支援をするという意味ではない)、なにより彼らの人生のすべてを引き受けることはできない。
「できない約束はしないことだな」とは相田みつをの言葉だが、約束を守ってこそ信頼関係が築ける。守れない約束は、関係を拗らせるだけだ。
親になれないわたしたちは、それでも彼らと結びつきたい。そういう仕事なのだ。


今日もこちらのバイブルから。

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