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初めて生で見た芸能人の話

1982年、12月の昼間。父の仕事部屋のラジオから流れているラジオチャリティーミュージックソンを聞いていたら、近所のコンビニエンスストアにラビット関根(当時)が募金活動に来るとの告知が。当時小学生の自分にとって、知ってる芸能人が近所にやって来るなんて初めての経験。これはぜひ見たいと思い近所のコンビニエンスストアへ。
 
コンビニエンスストア前にはお揃いのジャンパーを着て募金箱を持った2人の男性がいた。1人はラビット関根さん、生で見る関根さんはテレビでみるのとあまり変わらない印象だった。もう一人はスタッフと思しき人。
自分は少し離れた所から彼らの様子を見ていた。が、周囲に人がいない。誰も通らなければ近寄って募金する人の姿がない。この場所が東京北部のマイナーな町で普段から人通りの少ない場所であるせいもあったかも知れない。誰か来るのではとしばらく様子を見ていたが現状は変わらず。自分は所持金0で募金出来ないので、彼らに近づくことなくコンビニエンスストア前を後にした。
 
関根さんがカックラキン大放送でカマキリ拳法をやっていた頃、世間からとても気持ち悪がられ人気なかったと後に知る。自分が見た時はまさに“気持ち悪がられ人気なかった”頃だったのだろうか。人気者の関根さん、今では考えられない。貴重(?)なもの見たのかも。



時は経ち1993年頃。ラジオ番組「コサキンDEワァオ!」をきっかけに関根さんに興味を持つようになり、1994年からは関根さんが座長を務める「カンコンキンシアター」を毎年観に行くようになった。この話は別の機会に。


初めて買ったカンコンキンシアターのパンフレット(1995年)

 


最後に余談。
浅草キッドの著書「キッドのもと・浮気童貞 水道橋博士」の章より。おしゃれカンケイにゲスト出演した関根勤さんが家庭円満の秘訣を聞かれた答えに『さすがはカマキリ拳法の使い手、カマキリのオスのように自己犠牲をも厭わない愛妻論だった』『関根さんのこの発言に虚を突かれた』『俗に「女遊び」と言われるようなことには一切関わらなくなってしまった。その転向のヒキガネと言うか、縛りは、先の関根さんの発言だった』と書いている。
結婚後の水道橋博士に影響を与えた関根勤さん。



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