ソシオニクス タイピング用質問 回答: T




Te

1: (550字)

  • あなたにとって、仕事とは何ですか?

自分が何かをする事で対価を得るもの。概ね生活をするために (外貨を稼ぐために) 行う。その前提の元で、自分がどう労力をさけるかや社会に貢献できるか、報酬はどのくらいか、それによって出来ること、出来なくなることを考えたもので「何を仕事とするか」を考える (もちろん仕事につけるかという問題もある)。

  • なぜ人は仕事をする必要があると思いますか?

仕事の定義に内包されているので重複するが、1つは生活するため。もう1つは外界、特に社会と関わるため。仕事と報酬は、自己と社会の関わりなのではないかと思う。
全ての人が自給自足できるのなら、本来お金というものは必要無いのかも知れない。でもそれよりも、「私はこの仕事」と限定・特化すること、集団を形成することで、効率的に成果を出せる。また、公助的な作用も期待できる。人間は社会的な生き物だと言われると思うけど、ずっとその側面を発達させてきているように思う。
最後にもう一言言及すると、働かなくて (仕事をしなくて) 良いなら働きたくないかもしれない。それは結局、自分の中で報酬を得るためという目的が1番強固であるということを示唆しているのかもしれない。

  • 自分が特定の仕事をこなせるかどうかを、どうやって判断していますか?

自分の出来ること、能力、今の状態を考えて、それがフィットするかどうかを照らし合わせて判断する。
概ね、社会的な「仕事の評価」と一致しているのではないかと思う。

2: (994字)

  • あなたは仕事の質をどうやって評価しますか?

仕事の質としてはアウトプットを評価するのが1番早いと思う。方法としては、事前に立てた目的に対してどのくらい応えられているかが最重要なのではないかと考える。例えば、「顧客が喜ぶ製品 / サービス」が主目的なら、その対象とする顧客が求めるものがスペックなのか価格なのか態度なのか、まずはその解像度を上げておく必要がある。それは仕事をする側も、評価する側も大切なことだと考える。
評価する事は、上から目線であってはならない。そして、評価する側は仕事をした側よりも解像度が高くなければ適切な評価がなされないので、評価する側は必ず仕事する側以上に、この仕事は何が目的かを把握している必要があると思う。
仕事をする人と評価する人が同一人物である場合も同じだと思う。

  • あなたにとっての「仕事の質」の定義を教えてください。

先にこの質問をした方が良かったのでは?笑
仕事には必ず目的がある。その目的にいかに応えられるかが仕事の質なのではないかと考えている。

  • あなたは何かを購入する際、その商品の良し悪しに注意を払っていますか?払っている場合、あなたはどれくらい商品の良し悪しを正しく判別できますか?

注意は払っている。払いに払いまくっている。
正しく判別できるかというのは正直概念として難しい。
結局その商品の良し悪しは、購入する側の価値観によるからだ。それは一個人の中でも変わるだろう。
私は1本500 mLの水が1万円だとして、それがどんな水でも (飲めば10際若返るとか無しね、それは「水」を買ってる訳ではないので)、今通常運転の生活をしている状況では買わない。
でも、例えば富士山の山頂で喉がカラカラで他に水がなければ買うと思う。
1万円の水を買う人はご利益があると思うから、良いと思うから、価格に見合ってると思うから買うんじゃないかな。
そういう意味では、何かを購入する際、それはどんな人でも、その人にとって買う意志があるのならば、すべて正しいんじゃないかな?
だから仕事の質は、その人が求めているものにどれくらい応えられるか、だと思う。

いや、そのご利益が本当のものか見極める力のことを、商品の良し悪しを正しく判別できるか?ということなのか...深い。
そういう意味で、私は科学を1つのツールとして判別に用いていると思う。
自分の得たい結果が購入によって得られるかを、自分が得てきた知見や、必要なら新しい知見を取り入れて判断している。
正しく判別していると思っているけど、例えば騙し切られていれば、そもそも間違ってる事に気付いていない訳で。
少なくとも自分の考えうる選択の中では、正しく判別出来ていると思っている。


3: (543字)


「プロフェッショナルな仕事ができる人」と「あなた」が並んで仕事をしている様子を想像してください。あなたには、とてもではありませんが、その人のやり方を真似することができません(そして、いつもそれを痛感させられます)。

  • ① こういう時、あなたはどのような気持になりますか?

すごいなぁ...この人はなんでこんなに出来るんやろう、と感嘆と尊敬と少しの劣等感を感じると思う。
それは、その人が為している仕事と、自分の仕事を比較したときの差分に対して、その差分を生み出すために「仕事ができる人」がした努力や創意工夫を評価していて、自分がそこに到達していないという現実を認識することで生じていると思う。

  • ② こういう時、あなたはどう考えますか?

必要であれば、まず自分もどうやったら近づけるかを考える。それは自己実現欲求に近いものだと思う。ただ、劣等感による衝動もゼロではないかもしれない。
自分の中では他者との比較はあまり考えないでおこうという気持ちがあるが、人から比べられることに対する怖さみたいなものは結構あると思う。
だから、自分よりもとても立場が上だったり、社会的に実力差があると考えられる場合は、そこに並ぼうなどとは私はまったく考えないと思う。

必要でなければ、いかにこの人に働いてもらうかを考える。

  • ③ こういう時、あなたはどう行動しますか?

必要であれば、とりあえず見よう見まねや、自分なりに調べてみたりして改善できる所にチャレンジしてみる。
それでダメなら色々、その人に聞いてみる。

必要でなければ、その人が働きやすいように自分でサポートできることを考えて、行動する。
それは業務的な補助かもしれないし、心地よく仕事できる環境作りかもしれない。


4: (536字)

  • あなたが何かの仕事をしていて、うまくいかない時、あなたはどうしますか?具体例を交えて説明してください。

自分なりに調べたり、人に聞いてみたりする。
例えばある手法が必要で、やってみたけど上手くいかないなら、上手くいかない点を自分なりに洗い出してみて (試薬の調整時間がかかり過ぎていて分解などが起こっているのではないかとか、温度が適切ではないのではないかとか) トライアンドエラーを繰り返してみる。
それでもダメなら経験ある人を探してみて聞いてみる。
進捗として思い描いていた構想が上手くまとまらない時は、今まで報告されてることをとにかく調べる。調べた上で構想の修正に使えそうなアイデアを練る、という感じ。

  • 他の人が何かの仕事をしていて、うまくいかない時、その人たちはどういう行動をとることが多いと思いますか?あなたと同じ行動を取ると思いますか?それとも、もっと別の行動をとることが多いと思いますか?

だいたい同じような行動を取るのではないだろうか。自分がそんなに奇抜な方法を取っているとは考えていない。
ただ、自分の中でのトライアンドエラーの期間は長いかもしれない。もっと早く人に聞く人が多い印象はある。
そのあたり、個々の仕事遂行におけるタイプや、その仕事への熱意などが影響するのかもしれない。
瞬時に体が動きやすいタイプの人は、詰まったときに人に聞くのが早いと思うかもしれないし、物事を捉えて咀嚼する傾向の強い人は、自分で考える時間が長いかもしれない。
仕事への熱意が強ければ、どうしても改善しようと、いろんな可能性を考えるだろうし、低ければ、諦めるのが早いことが考えられるし。


5: (592字)

  • もしも「エジプトにあるようなピラミット」を作らなければならなくなった場合、あなたはどう考え、どう行動しますか?

まず「あのピラミッドですよね? 大きさとかも寄せるんですか? 素材は? 中の構造とかはどうです?」 と、どこがポイントなのか仕事の目的を確認する。
基本的に、顧客のニーズを優先し、その具現化を手伝う。その上で、顧客の志向に関係ない部分があれば、自分の考えを乗せるスタンス。

エジプトのピラミッドを観察する。大きな仕事なら、可能な限り現地に行って見たり情報収集をする。
どこまで私がやらないといけないのかわからないけど、必要なら複数の建設業者に話して相見積もりを取るなどして業者を選定する (私にノウハウはないので)。
どこまで私がやらないといけないのかわからないけど、必要なら図面を引く勉強をしてみて、描くなどする (無理な気がする 笑 けどやってみたい)。
お客さんにこれで良いのか確認する。
できるだけ、顧客とのすり合わせはこまめに行う。
それが満足してもらうためには一番重要だと考えるからだ。

実際の建造はやる気がないので、私がどれくらいその仕事に時間をさいていいのかわからないけど、時間があればやってくれる人にお茶を出すなどしてもてなす
(可能なら、少し石を積むくらいのことはやってみたい 笑)
完成したらお客さんにどうです?と確認する。
ダメなら修正を可能な限り繰り返す。
完成! これ楽しい!
できたら一生「このピラミッドはね、私が建てたんだよ、なんでかよくわからないけど」と言って自慢すると思う。



Ti

1: (568字)

  • 「特定の条件にだけ適用できるものを、一般化すること」「一般化されたものを、特定の条件に適用できる形にすること(特殊化すること)」の具体例をあげてください。

前者の1つは、昨今界隈で話題になっているらしい、主語がデカいということに通じているということが、まず頭に浮かんだ。
例えば「INFJが同調圧力が強い (一般化されたもの)」は、本来は特定の条件にだけ適用できるもの (個々人としてはそういう人も居る) であるが、INFJという集団に過度に一般化されたもの。
これは、しばしば事実と反する事象を含んでおり、この一般化されたものに対して、個人が「誤って規定された」や「決めつけられた」と感じると、不快な感情を生じる原因になりうると思う。このことは、一部、個人が後者 (一般化されたものを、特定の条件に適用できる形にすること(特殊化すること)) を自分に適応することを含んでいると考えられる。  
また、別の事象として、後者の1つに公式がある。一つの一般化された公式は、そこに事象を当てはめる事で特殊化できる。それは数学の公式もそうだし、物理の公式もそうだし、世の中の公式もそう。
これでは全然具体性が高くないので、もう少し触りやすい形にしていくと、相対性理論のおかげでGPSが実現していること、エネルギーや電磁気の概念があるから私たちはコンセントにプラグを繋ぐだけでお米を炊けること、男性は立ってsmallな用をたしやすいという構造的特性があるから、イオンモールのトイレには男性用の小便器があること。

2: (540字)

  • 「論理的」とはどのようなものだと思いますか?

矛盾なく、「定義」 (「事実」と表して良い場合も多いかもしれない) だけに基づいた状態だと思います。
1+1=2であるという定義から、石を積み上げていくこと。
その時途中で定義にない石を積み上げないこと。怪しい石を入れた瞬間から、その論理性を疑わなければいけない。
また、石の積み上げ方についても、それが矛盾のない積み方なのか、積み上げた場所は、矛盾をはらまないのかを常に考えていなければならない。
でも、だいたいはそんな簡単にはいかないと思う。
理想的な「論理的」でないことも多い。それは論理的であることが求められる自然科学の世界でも、残念ながら例外ではないと思う。

  • あなたの考える「論理的」の定義と、世間一般的な「論理的」の定義は一致していますか?それとも異なっていますか?

そもそもどんな「言葉」でも、「個々人が考える定義」と「一般的な敵が」が完全に一致することは、限りなく0に近いと考えている。
ただ、「論理的」という単語は、言語の中でも純粋な概念に近いと思うので、みんなが想定する「論理的」は、人の捉え方による差異が少ない言葉である可能性もあると思う。
私の考える定義については、表現の仕方は置いといて、私はおおよそ一致してると考えているけど、他者から見れば、「違う」と言う人もいるかもしれない。ても、その多くは「表現の仕方」を見ているか、「指し示す事象や概念」を見ているかの違いであると思う。

3: (935字)

  • システムや分類、あるいは社会的組織にみられる「階層構造」とはどのようなものですか?「階層構造」という言葉を知らない小学生に言葉の意味を解説するつもりで、具体例を交えて説明してください。

階層構造 (ヒエラルキー) とは、いろんなことがらがミルフィーユのように重なって成り立っていること。
あのミルフィーユの一層一層それぞれは個としてそこにあるけど、外から見ると一連のかたまりに見える。

例えば社会的組織の場合、偉そうな人がよく上にいて、その様子を伺ってる人が下にいる。その辺がさらに下の位を作ったりしているけど、そんなものに頼らない人間関係を作ろうね (個人的感想)。
もちろん、階層を形成することで、効率的な機能的連携を図ることができる。しかし、そもそも社会の階層にヒトを割り当てた場合、その階層でうまく機能しないことも多いという問題点を感じている。該当の階層での役割にフィットしようとすることが求められるが、結局個々人のその環境での適応力に依存してしまう。本来は、であれば適材適所を考えるべきだが、階層を固定するわけでもなく、社会の都合だけで階層を割り当てることも多くなるという否定的な部分も看過できないと考えている。
階層構造に頼った人間関係は、階層構造の中でしか通用しないんじゃないかと思うから。この辺り、自身の中のP的思考傾向が強く見られると思う。

システムや分類としての階層構造は、下の層 (末端) をより具体例として、上の層をより高次な総称として体型立ててまとめていく一連の枠組み。
例えば、「植物」を1つの大きな集団、「まとまり」として考えたときに、「野菜」や「くだもの」を1つ下の階層にして、例えば「夏野菜」みたいな項目を作って、最終的に「ナス」「トマト」みたいな固有のものを分類していく。
分類項目は可変的で、突き詰めれば結局は人間の主観で設定することになるのではないか。例えば、「植物」の階層構造としては、別に「被子植物」とか「裸子植物」であっても良いし、なくても良い。目的に合わせて階層やフレームを設定できる。
そのため枠組みに当てはめてしまうことで、制限してしまったり、歪めて認識してしまうこともあるため注意が必要ではあるが、物事の体系的な理解には非常に有用だと思う。

  • あなたは「階層構造」に従う必要があると思いますか?

「従う必要」はない。
「必要なら従う」けど。
自分が構造を規定して良いのなら、上下の階層は可能な限り作らない。
階層構造は、人の自由な発想や時間を制限してしまうものだと思う。

4: (576字)


以下①~⑥のどれか一問に、できるだけ詳しく答えてください。

  • ⑤ 次の文章の論理的な誤りを説明してください:私たちは、本物の「野菜」を目にすることが出来ません。なぜなら「野菜」とは、私たちが生まれるよりずっと前、千年も昔に存在していたものだからです。

まず、「野菜」が茄子とかトマトとかカボチャという、私が食する諸々の「植物の実」的なものの総称・概念を指し示すものなら、「野菜」という概念に含まれる、分類される物体を、そもそも私は「目にすることができる」ので論理的に間違っている。
しかし、「野菜」という概念自体を目にしたことがあるのか、目にすることができるのかと問われると、そもそも物質として実体の無いものなので、目にすることが出来ない。でも、そうだとすると、「千年も昔に存在していた」という主張が論理的に間違っている。
ただ、「千年も昔に存在していた」もので、もしも今存在していない「私が知らない未知の野菜」という物体があるのなら、その「野菜」が千年も昔には存在していても、私は本物の「野菜」を目にすることができない可能性はあるんじゃないのか?
なら、この線では論理的間違いはないことになる気がする。
もちろんこの場合、「千年も昔に存在していたもの」とは述べられているが、「現在はない」とは述べられていないので、「現在は存在しない」と仮定した場合に限られる。矛盾はないけど、情報が足りてはいない。
今「野菜」という実体が存在してるなら、そもそも目にすることができるので、目にすることができないという主張は論理的に間違っている。

なるほど、Tiの4が何を目指しているかわかってきた気がするぞ。こんな感じで良い?

5: (644字)

  • 情報を構造化して整理する必要性を感じることはありますか?また、そう感じるのはなぜですか?

必要性は感じる。
私自身は、厳密には、情報の構造化は非常に有用だと考えているからか、無意識的にやっている。MBTIのNi的な物だと思う。
なぜ必要かというと、自分の中で、構造化によって理解が素早く行えること、様々な情報に対して関連性を見出すことで有効に活用することが出来ていると思うから。

  • 情報を構造化して整理する方法として一般的によく使われる方法を説明してください。あなた自身の方法というより、世間一般的な方法を教えてください。

体系的に分類すること。例えば茄子もトマトもカボチャも、土から根を生やして低地で実をつけて食用にできる。これを「野菜」ということにしましょう。そういうこと。

もっと広義で考えると、「苗字と氏名をつけること」も「所属」を書かされることも、「血液型」も「何座」かもそう。
これらは分類自体に意味があるというよりも、名前づけをすることで、例えばそれぞれでソート、管理しやすくなる構造化。
MBTIやソシオニクスもエニアグラムも16 personalitiesも情報の構造化。
これらは、(すべて正しいかは置いといて) その集団に一定の意味を見出す構造化。
ある指標の心の利き手や、一定指標の特性から集団を振り分けて、時にはそこに意義づけし、特徴を見出すことで、その性質や得手不得手、成長モデルやタイプ間の相性などを考えたりしている。

  • あなた自身は、どのようにして情報を構造化して整理していますか?

共通するパターンを見つけている。これは半ば無意識にやっている。それを自分の中のフォルダ的な物に放り込んでいて、関連付けを行なっているような感覚。だからよく、人に「全然関係ないやん」と言われるので、最近は「全然関係ない話なんやけど」と先手を打っている。
でも本当は全然関係あるんやけど。

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