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「でもやっぱり人間向いてないわ」適応すること

適応するというのはいいことのように思う。
けれどほんとにそうなのだろうか。


最近痩せ我慢をしていたことに気がついた。
物心ついた時から、
婚約指輪、結婚式、結婚指輪たるものに憧れがあったのだが、私の生活を考えた時に、その中から婚約指輪というのは果たしているのだろうかと思った。
いらないと宣言したものの、
やっぱり憧れがあったこともあり、欲しかったのだと思う。だって一生に一度だから。
けれど、買える環境になかった時いらないと1番最初に切り捨てた。
それから破談になり、また結婚が迫った時、もう一度、自分に問うと、やはりほしいと言う気持ちが芽生え、今まで1番最初に切り捨てたという実績に驚きが隠せなかった。自分の気持ちにフタをして見ないフリをしていたが、本当は欲しかったのだ。後から買うこともできたのかもしれないが、多分それはもう婚約指輪ではない。

私は環境に適応していたと思うし、それが身の丈にあったものだったのかもしれないが、婚約指輪だってピンキリ。1,000円でも形に残すことさえ考えなかった自分は自分を見失っていたと思う。
本当の意味での適応というのは、こうであってはいけない気がする。


人の出会いというのは、わからないものであるが、私は今の周りの人に感謝している。
大事な人たちだから、大切にしていきたいと思うのである。この先一緒にいられるかはわからないが、今はこのままの時間が続くことを願うばかりである。

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