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「でもやっぱり人間向いてないわ」わたしがそうみているだけ

わたしにはたくさんの鍍金が付けられていて、
でもそれもだんだんと剥がれつつある。
わたしは本物の金にはなれない。
私はずっと肩車されてきた。だから、わたしの身長では見れないものをたくさんみてきた。
背伸びじゃなくて、肩車されていた自覚がある。その位置から地の距離を逆算して生きてきたと思う。たくさんの人が関わっているのだけれど、その人たちは決して交わることはできない。けれど、私という1人の人間で繋がっている人たち。私を1人でも立てるようにしてくれた人たち。

最近、鍍金の剥がれが、きになる。あれ、ここも剥がれていて、ここも剥がれていたかと、おもった。1度にきになるとどんどん鍍金の付いてない部分ばかりがきになってしまったが、まだ付いている部分はある。
しかも遠目で見れば大体は付いている気がする。また新しい鍍金を付ければいいのだとわかっているのに、付けたらつけたで、新しさが目立ち違和感をおぼえてしまう。

じゃあ鍍金の上から鍍金を付ければいいのかとおもったのだが、そうもいかないらしい。
鍍金が付いている部分を更なる鍍金で隠してしまったら、それはちがう気がする。今までの自分を否定している気持ちになるのかも。

けれど、最近はこの剥がれ際もアジなのではと思うようになってきた。もう金にはならないし、なれないし、
何度も失敗して転ぶし、もうダサくてもカッコ悪くてもいいか。できないところからできるところへ行って、そこからまたできないところへ向かう。だから、ダサくても、カッコ悪くてもいいかって思うようになった。
でも、なぜだか周りのキラキラに目がいく。
自分と比べると、みんながキラキラして羨ましい。けれども、そんなこともないんだろうなと思う。
私は私で、あなたはあなた。

親の言葉が今更になって身にしみる。
よそはよそ、うちはうち。

言葉はいつだって意味より先に来てしまう気がする。

私はいくつ言葉の意味を知っているだろう。

剥がれてしまった鍍金はどこかに落ちて、
もしかしたら、他の人のところにくっついたかもしれない。それがその鍍金の居場所だったのかも。
剥がれる運命ならば、それを取りに行かなくてもいいかとさえ思う。

わたしは、
私ではなくなった時に
可愛く教えてねと言えるだろうか。

わたしは剥がれゆく鍍金に気が付かなくなる私がいて、きっと何か目の見えないものに覆われてしまう感覚がある。

今日の空は青い。
あの人がみるそらも青いといいと静かに願う。
同じ空がないことを知りながら、同じそらだと認識するわたし。

鍍金よ、次はどれが剥がれるんだ、

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