♯16 「がんばっているね」という言葉が気づかせてくれたこと
「がんばっているね」「がんばっていてすごい」
親しい人や、周りの人からこの言葉をかけられたら、どんなふうに感じますか?
「がんばっているね」はうれしい言葉?
私には3人の子供がいます。全員社会人なので、子育ては終わりかな? かかわり方も随分と変わりました。
ある日、私は末っ子にこんなことを言われたのです。
(末っ子)お母さんはお兄ちゃんたちに「がんばっているね」って言わないね。言ってほしいと思うよ、お兄ちゃんたちは。
(私)「がんばっているね」って言われて、うれしいの?
(末っ子)そりゃ、うれしいでしょ。お母さんはうれしくないの?
(私)・・・・・・
私は好きではなかったけれど・・・
私にとって「がんばっているね」は、言われてうれしい言葉ではありません。ほめられた、とも思わない。これは私個人の価値観の話です。
「がんばっているね」という言葉が嫌だと思ったのは、いつだっただろう。はっきりと覚えていないのだけど、中学生の時点で好きではなかったと思います。
「がんばっているね」が好きじゃなくなったのは、「もっとがんばれ」と言われているように感じるから。たぶん、そう感じる出来事があったのでしょうね。その出来事が何かは思い出せません。
「がんばっているね」が好きじゃない理由
それに、人って常に「がんばっている」と思うのです。
何をしたとかしていないとか、そんなの関係なく、生きてるだけで「がんばっている」。本人や周りから見たら歩みが止まってるように感じる状態でも、心の中は葛藤し、不安と闘い、それでも「がんばって」今日も生きていると思うのです。
がんばっていない人なんていない。
という価値観がベースにあるので、「がんばってるいね」と言われても、ほめてもらったとは思えないのかもしれません。
「がんばっているね」という言葉が教えてくれたこと
加えて、「がんばっているね」は、子供に「努力」を強いる感じがするのです。だから、自分に子供には言わない。「がんばっているね」も「がんばりなさい」も言わない!と思って、子供に接してきました。
でも、末っ子に指摘されて、「がんばっているね」という言葉に対するイメージは親子といえどまったく違うことに気づきました。自分中心に考えがちな私の思考グセが悪いように作用したと感じます。
末っ子の指摘したことは、配偶者も思っていたことのよう。確かに双子は「がんばっているかどうか」を気にするところがあります。それもようやく気がつきました。
そして、思ったのです。
「がんばっているね」
この一言だけでも、これほどにすれ違うんだな、と。私は彼らの親なのに、生まれてすぐから知っているはずなのに、彼らのことを全然知らなかったようです。
まだまだ知ることがたくさんある
私がかけられて「うれしい」と感じる言葉と、子供達が「うれしい」と感じる言葉は、違う。それをようやく実感。
反省と、申し訳なさと、自分のことも家族のことも案外わかっていないのだなというガッカリした気持ちが、心の中で複雑に絡み合っています。
「我以外皆我師也」
自分以外の人やもの、すべてが自分の足らざるところを教えてくれる。だから謙虚な心で生活をすることで、人はより磨かれていくという意味を表す言葉ですが、本当にその通りだと思う今日この頃。
子育ては終わったと思っていたけど、これから新しく知ることがまだありそうです。
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