【資料】評論記事「理想の花売児」『富山日報』(1910年)

理想の花賣児
        冷光

◎子供に商賣気を躾け様とて朝の街を花賣りに出す富山に習慣は飽迄保存して置き度い、勿論僅かな弊害は有らうとも其年齢や、家庭に行き届いた取締りさへあれば毫も気遣ふに足らないのだ

◎而し現今の如く、賣る花の種類の甚だ単純で、仏壇に立てるお花しか持たないのは此習慣の今後衰微し行く原因だ、毎朝仏壇のお花を取り換へる様な家は幾程あるものか

◎そこで僕は思ふ、この美風を今後改善発達させるには第一賣品の花をモッツと豊富清新にする事、第二年齢十歳以上十五六歳迄の児童は少年のみとは云はず少女も亦花賣りとなす事、第三、花を呼び歩くに従来の泣言の如き呼び声を改めて持って居る花の名を明確に呼ばしむる事、尚ほ出来たら之を富山市独特の単純な曲譜を設けてそれによらしむる事だ

◎など書き立てると、架空な愚論と嗤ふものもあらう、然し之れが実行方法は毫も至難な業ではない、第一着手として貧民ん夜学校に、集まる児童に之れを試みさせ、其商品の供給は差詰県農事試験場より新しい西洋草花とか、此頃なら菊花とかを払い下げるのだ

◎尚ほ畢竟は夜学校で一定の花畑を設け、子供に花を作らせるのだ、斯うして一方自然物栽培の興味を感ぜしめ科学思想を涵養せしむるも宜からうし、一方之れを行商して市内の各家庭へ園芸趣味の促進の使者とするも悪くは無からう

◎若し朝疾い中から可愛い子供達が『ダリヤの花にコスモスの花、黄菊白菊雛菊の花は如何』などと節調宜しく呼ぶのを聞く様になったら富山の朝は如何に心地好い、所謂美的、詩的なものになるであらうぞ

◎子供に対する花の感化、朝起きの奨励、商賣気に躾け、それが更に大きく児童教育上に及ぼす価値の實に量り知られぬもにあらうと思ふ


【解説】『富山日報』明治43年10月23日1面。冷光の創作童話に「花賣少年」という短編がある。遺著『鳩のお家』(1921年)所収。国会デジタルコレクションで自由に閲覧できる。郷里富山を舞台にした作品の中では「雲の子供」と並ぶ代表作の一つとしてよかろう。この創作のベースになったのが、明治時代に富山市で行われていた子供の花売りの風習である。この評論記事では、廃れつつある花売りの風習について意義を見直し具体的な改善案を記した。明治43年は地方紙記者4年目にあたる。冷光は子供に関する評論を新聞紙面にいくつも書いている。花に対する関心は、農学校卒業し上京して受験生だったころから続いていて、農学校の先輩で花き園芸に力を入れていた久田賢輝(読売新聞記者、明治40年死去)の影響とみられる。

花売りに関した小説としては、短編お伽噺「花売娘」とお伽小説「兄さんのお墓」という短編もある。「花売娘」は『富山日報』明治43年5月22日1面、「兄さんのお墓」はトヤマ新聞社が『トヤマ』第36号(明治44年10月11日発行)の附録「トヤマ少年」に掲載された。

(2013/11/06 23:19)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?