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13. 夏秋春の白水滝を総括

原生林のこんもりした稜線の向こうに残雪の峰々。あとで地図を見たら、白山の南に連なる別山(標高2399m)だった。石崎光瑤が「春の白山」を旅したのは5月13-16日だから、筆者のドライブ時期の約2週間前になる。

滝見台から別山を望む

光瑤は明治43年(1910年)春、3度目いや正確にいえば
白水滝しらみずのたきと4度目の対面をしたとき、この風景を総括するように書いている。

春とは言えどこの高岳こうがく、いまだ春の至れるを知らず。沍寒ごかん衣を刺し、厳冬の衣冠厳かに、九霄きゅうしょうく大樹と鉄壁のような断崖のはだをあらわにしたほかは、まったく玲瓏れいろうたる氷雪に閉じられ、汪漾おうようとして流れ出づる水の、断崖にあふれ落つるもの殷々として鳴り、轟々として震い、濛々たる白沫硝煙の如くに湧き、谷底を白尽し、恐怖崇高こもごも胸を圧し、隻語せきごをだに発することができない。

『山岳』第6年第1号(明治44年5月25日)

これはもう漢詩である。難しい。が、これが光瑤の感受性である。

想起す。満山濃緑、赭色あかつちいろの岩も、白練しろねりの飛瀑も緑の影を宿し、立ちのぼる飛沫の雲のうちから、イワツバメが翠黒すいこく塗るごとき羽毛に、夏日の烈光を受けて、星の流るるように飛び交うたすこぶる壮大な景象だ。それは夏の白水だった。

さらに、凋落ちょうらくに先立つ栄華の色が、ことさら肅殺しゅくさつたる天地を彩って、荘重の裏面に言いがたい悲愁な調子がひしひしと客魂かっこんを傷ましめたのは、秋の白水だった。

しかし、それら壮烈であるとか幽麗であるとか愛賞することはできるが、今のように崇高尊厳の高度に達しない。襟を正す畏敬の感が迫らない、ああ。ひとたび遊びて夏の白水に接し、再び探って秋の白水を賞し、今また三たび来って、春の白水を観る。何たる幸福なことであろう、何たる寵児であらう。

『山岳』第6年第1号(明治44年5月25日)

「寵児」とは自分を指して言ったのか。光瑤は、圧倒的な水量の春の滝を見て、他の季節では感じられない「崇高」「尊厳」を感じとり、幸せに浸ったのである。

(つづく)

画像処理による白水滝の3シーズン空想図

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