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5. 岩壁に阿修羅の鮮血?

岩屋ヶ谷を過ぎ、道は二俣に分かれる。下へ降りると本谷を渡ってアワラ谷に通じる林道である。この分岐点で、右手のやや広い舗装路を選んで進む。

このあたりで対岸に見える岩壁が「ベンツル」の絶壁なのだろうか。車道の限られた視界にはその全貌が入ってこない。

正面の岩壁がベンツルの岩壁か
右奥が箱抜峠 大白川渓谷の川面は全く見えない

昔の絵葉書が頼りにはなるが、やはり特定できない。

飛騨名勝の三十 白川村ベンヅル絶壁
(住伊書店発行)
昔の絵葉書 撮影者不明

光瑤はこう記している。

やがて広き川原の砂地へ下り立つと、稜々たる大絶壁が威風四辺を圧して、そびゆるのが目前に現れた。「ベンツル」の絶壁である。喜びに満ちて躍進しつつ見上げると、怪偉なる大絶壁が濃き朱の色に彩られしありさまは、怒れる阿修羅王が鮮血を浴び、瞋恚しんいの炎を燃やして狂い立てるごとく、算を乱して倒れ重れる数百本の喬木は、敗鬼の朽骨が散ってるのかとも思われる。

『山岳』第4年第1号(1909年3月25日発行)

どこから「怒れる阿修羅」の鮮血という発想が出てくるのか。それらしい岩壁を見ても、凡人には「阿修羅の鮮血」を見つけることができない。

紅葉が盛りのときに旅した感想だから、赤い葉をそう形容したのかもしれない。

「敗鬼の朽骨」というのも聞き慣れない言葉だ。

喜びに満ちて躍進する光瑤の、高揚感は並大抵ではない。(つづく)

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