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おことわり 著作権に関する著者の考え

本記事はオリジナルです。先行研究の成果をもとに、おもに登山史に焦点を当てて調査をすすめた成果を公表するものです。研究論文の形式をとってはいませんが、創作性と学術性を有しています。

美術館の一利用者として末梢部分で美術館側の教示を受けたものの、監修とか特別協力とかという関係は一切ないことをあらかじめ申し上げておきます。本ブログはすべてにわたって「すき間を埋める独創的な調査研究」を信条としています。

石崎光瑤が亡くなって77年がたち、作品の著作権は消滅しています。作品画像に著作権法上の問題は原則生じません。しかしながら今回、Web掲載にあたっては利用許諾をとるべきという助言があり、念のため当該画像を当面の間、取り下げることにしました。

利用許諾の問題については賛否があります。原絵画の著作権が消滅している以上、絵を複写にしたに過ぎない撮影物や印刷物には創作性がなく著作権は生じません。つまり光瑤の作品はすべて、本来なら管理者が積極的にパブリックドメインを宣言してデジタルデータを公開し、光瑤への認知度を高めていくという考えがあってもよいわけです。むろん商用利用も可能ということになりまます。

一方、本記事は営利目的の記事ではありません。公の出版物に掲載された著作権切れ画像を一部転載するという行為が、利用許諾の名のもとに規制されることがWebの時代にふさわしいかどうか、外国の先進的な事例と比較して検討してみる必要があるでしょう。ただ実際は、著作権切れ画像の転載を理由を示さずに禁じて許諾制をとる旧来の考えもまだ根強く残っています。近代美術史研究がどうすればもっと広がりのあるものになるか、専門家の間でもっと議論を詰めていただきたいと思います。

白黒の肖像写真(光瑤の登山姿)に着色する手法についても賛否があるようです。著作権法上は、たしかに著作者人格権の問題がありますが、当時を想像して単に着色する場合は著作者の名誉を傷つけることはほぼないと言ってよいでしょう。なお肖像権は死者にはありません。着色が肖像の雰囲気を大きく損ねる結果をもたらしたとすれば、それは大問題でしょうが、イメージを膨らませる目的の画像処理は近年の趨勢であって、寛容にご覧いただければと考えます。こうした着色を行うと、逆に着色した側に著作権が生じてしまうという、なんとも矛盾めいた法社会です。ただ、子孫の方のお気持ちを損ねたのであれば、謝罪せねばならないのは当然のことです。

作品画像を許諾申請をしないうちは公開できないことが残念ではありますが、本記事の内容に変更はありません。新聞記事や古い絵葉書については、問題は生じないのでそのまま掲載します。

本記事は、石崎光瑤の生誕140周年を機にそれを祝うために書いたものです。受け止め方次第でマイナス作用してしまう部分がごくわずかあるかもしれませんが、全体を通して見れば、先人への敬意や共感は十分感じていいただけるものと確信しています。

本記事を閲覧されるかたには、ご不便をおかけしますが、ご理解下さい。

2024年5月27日 崎山輝一郎


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