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6. セキレイの巣と母鳥

1年半後の3回目のベンツル通過の際には、阿修羅とは真逆のイメージの逸話が記されている。

紅花の羊蹄草の常緑の葉がテラテラと美しい。行くこと少しばかりで、はや旧のマナゴ谷へ出た。楊柳打ちけむる砂上にハクサンカラシの花が黄金のを着けて匂うているのが、今までここに行楽した白山の女神が忘れたかんざしの花かと疑われる。ベンツルの大峭壁の裾を淙々として流る水音のほか、空寂たる川原に四人の杖の石に触れる音がひどく神経を打つ。

『山岳』第6年第1号(1911年5月25日発行)

なかなか抒情的である。

一人の案内がフト足を止めた。それは沙上の陰にセキレイの巣を見いだしたのであった。巣の中には、銀杏の実のような玉子が四つ安らかに並べられてある。今し自分らの音に驚かされてかけ出たのは母鳥であったか。よしなき安寧を破ったと思って見回すと、向こうの岩の上に、去りも得やらで真白の尾を動かして、悲しげに鳴いている。

『山岳』第6年第1号(1911年5月25日発行)


花鳥画家の面目躍如か。このあと案内人が「荒々しい爪」でその卵に触れようとするのだが、光瑤はそれを制止している。

2024年5月、光瑤の旅した114年後にほぼ同じ空間に立つ。鳥の姿は見えない。鳴き声も聞こえない。

同じ5月でも光瑤の時より約2週間季節は進んでいるから、繁殖期が終わっていたのか。

それにしても光瑤の観察力には感心する。(つづく)

表紙写真は間名古谷の渓流

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