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第5章第9節 月明かりを頼りに下山強行

大井冷光・吉田博・佐伯和三五郎・佐伯春吉の4人は、後大日岳(奥大日岳)の斜面に取り付いた。ガレ場を踏み外さないように慎重に進む。相変わらず草にすがらなければ登れない急な斜度である。先の方から叫び声が響いた。生々しいウサギの死骸を、和三五郎が誤まって踏んだらしい。「やっぱり、ワシか、何だろう」。冷光が尋ねると、ワシならばウサギの腹わたは残さないし、クマやカモシカはウサギを食べないから、たぶんテンの仕業だろう、と誰かが言った。オオカミなら少しは驚いたろうに、テンと聞いてはあっけない。冷光は思わず笑った。

1時間足らずで、2町(約200m)ほどの雪渓に出て休憩をとった。春吉が恨めしそうに言った。「クマを見にゃらんところだが、皆騒がしいから隠れてしまうのだ、道でクマが今食ったような新しい草の跡がいくつも見たが……」。そして目上の和三五郎に向かって冗談めかして続けた。「あんたがしきりに工ヘンエヘンいうから逃げてしまう、これから気を付けっしゃい」。和三五郎はたんがのどにつかえるのか、1分間に2度3度とエヘンエヘンとせきをする。冷光はこれでは宿願であるクマとの遭遇はできないと思った。

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