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石崎光瑤の槍ヶ岳登山

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日本画家、石崎光瑤が明治43年(1910年)夏に挑んだ槍ヶ岳登山を読み解き、その深層に迫ります。剱岳第2登についても、光瑤撮影の写真を詳細に分析し、深読みをしました。
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#光瑤

光瑤の「剱岳八ッ峰」写真が判明

明治43年の新聞に掲載された石崎光瑤撮影の写真「針ノ木嶺の一部」が、実は明治42年夏に剱岳登…

kotoyo_sakiyama
1か月前

おことわり 著作権に関する著者の考え

本記事はオリジナルです。先行研究の成果をもとに、おもに登山史に焦点を当てて調査をすすめた…

kotoyo_sakiyama
1か月前
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附章 光瑤の剱岳を解析する

石崎光瑤の槍ヶ岳について調べるうちに、光瑤の剱岳登山をあらためて検証する機会があった。 …

kotoyo_sakiyama
1か月前

第4章 変わる山旅

水墨画は何を物語る2024年春、福光美術館で展示された《信州槍岳之図》をあらためて見る。山…

kotoyo_sakiyama
2か月前
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第3章 上高地無情

絶賛一転 濃霧に石崎光瑤の槍ヶ岳への旅はいよいよ後半である。大町から明科まで馬車で行き、…

kotoyo_sakiyama
2か月前

序章 概説

はじめに ―「掉尾を飾る」山旅 日本画家の石崎光瑤といえば登山家として知られた人だ。明…

kotoyo_sakiyama
2か月前
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第1章 謎多き5年間

明治39年6月から明治44年6月まで、文献上明らかになっている光瑤の主な山行は約10件ある。槍ヶ岳登山の前に、主な山行をおさらいしておく。 槍ヶ岳登山にのみ興味がある人は飛ばして「第2章 針ノ木越え再び」から読んでください。 明治39年(1906) 夏の立山① 光瑤の本格的登山は22歳のとき越中立山から始まった。父和善が明治39年6月5日、58歳で亡くなり、一つのきっかけになったとみられる。立山登山は慰霊のためと記す人もいるが、正確には分かっていない。 南砺市立福光美

第2章 針ノ木越え再び

俗人を近づけぬ憧れの山石崎光瑤の『日本中央アルプス跋渉』は、『高岡新報』の明治43年8月5…

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2か月前