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自分のルーツ

人の縁って気持ち悪いなって最近思う。
夫とは専門学校が一緒だったのが縁で付き合うことになり、いろいろとありましたが今も無事に一緒に生活しております。

何気なく付き合って専門学校まで一度も顔を合わせたことも同じ地域に住んでいたこともないのに、、どちらの祖母も都心部で飲食店を経営していたこと、長野県と縁があることがわかって当時は「縁ってあるのかねぇ?」と話していたんですが・・・

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ずいぶん前にちょっとしたことから実父が、「自分の本当の父親は千葉に住んでいた」というのをきいたんですよね。実父がいやに「千葉の男を嫌う」理由がここにあったのかな?とも思いましたが、祖母と父を捨てて千葉に帰りほかの女性と結婚したという話も聞いてましたし。どうせそういう人だったのか、当時の状況から考えても「養育費」なんてものは払うこともなかったでしょうから余計だったのかもしれませんね。

何が縁で、木更津にすんでるのやら。
あんたの孫が南房総にすんでまっせ?っていう感じです。
そんな孫は木更津住みの人と結婚してあんたのひ孫もいまっせ?とな。

びっくりしたのは、義父は養子で結婚した人なのですが、その実母が住んでいたところからほど近いところに実父の出生届を出した地域があるっていうのにもびっくりでした。

いやはやここまでくると縁ってキモイ・・・・・・

広いじゃん・・・日本。東京都だって広いよ?
でもなぜにそんなピンポイント。

祖母が亡くなって半年ちょっと経ちました。
いろんな問題があって納骨ができずじまいでしたが、ようやくそれもできるようになりました。

なんでこんなことを書いたかというと、意外と話を聞いてないことが多かったなと。祖母から祖母の話を聞いていなかったなと。
年齢が上がっていくと祖母がうるさく、うざいなと思う時期がありましたが、今ではその時期にもっと祖母と話をしていたらと思うと少し残念で。

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祖母が生まれて育った山形にも行ってみたい。
祖母が生きている間に行けばよかったのかもしれない。
一度行ってる話は聞きましたが、小さい私にはその記憶が残ってません。

毎年、おいしいリンゴを送ってくださってる遠い親戚の方にも感謝。
もともと祖母は土屋という名前だったようですし。
もっともっと聞いておけばよかったな。

空襲を体験した祖母。
女郎屋に売られたという祖母。そんなところの下働きがいやで単身東京へ逃げてきた祖母。
「茶碗と箸」だけから頑張ったのよと言っていた。

もっと聞いてたら当時の話もっと聞けたんだろうなって。思う。

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(祖母のお店があった通り)
左にある精華ビルは祖母も覚えていて当時の話をちょっとだけしてくれました。

近々納骨に行ってきます。


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