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出口王仁三郎と伯耆大山

出口王仁三郎の著作より、大山に関する記述をいくつか抜粋してみます。

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神素盞嗚尊が八岐大蛇を言向け和し、遂に肥の川上に於て、手撫槌、足撫槌の娘稲田姫命の危難を救ひたまひし神代の物語を続行するに就て、高加索(コーカス)山を中心として先づ五天竺の活動より口述する事と致しました。
オロチと言ふ意義は山の事である。凡て風雲は山より発生するものにして、オロチは颪である。山には古来善神も鎮まり玉ひ、又邪神も盛んに潜伏して居た。故に太古の所謂八王八頭は山を根拠として其地方々々を鎮め守られて居たのも、要するに山岳に邪神棲息して天下を攪乱せしを以て、邪神の本拠に向つて居所を定められたのである。又肥の川上といふ言義は日の側陽陰といふことで、朝日の直刺す夕日の日照らす、山の意義であつて、出雲とは雲の発生する高山の意義で今日の伯耆の大山を指したものである。最後に神素盞嗚尊が自ら登山して邪神を滅亡せしめたまひて大蛇より村雲の宝剣を奪ひ、之を天照大神に献り赤誠忠良の大精神を発揮し玉ひし物語であります。素盞嗚とはスバルタンの意であつて、スは進展、バルは拡張とか神権発動とかの意であり、タンは尊とか君とか頭領とかの意味である……
 (霊界物語 第39巻 総説)

伯耆国皆生温泉浜屋旅館の見晴し佳き二階の広間を当がはれ、朝日の光と大山の雄姿を眺め乍ら、大正十二年如月八日より十日迄三日間にていよいよ第五十七巻を口述し了りぬ。
スーラヤ(日天子)チヤンドラ・デーワブトラ(月天子)サマンタガン(普光天子)ラトナブラバ(宝光天子)アワバーサブラ(光耀天子)の守護の下に、漸く印度の国波斯の国境テルモン山の昔物語を大要述べ了りました。顧みれば瑞月が神の大道に入りしより満二十五年に相当する今日、富士の神使に導かれ神教を伝へられたる今日、出雲富士とて名も高き大山の雄姿を拝し、三保の松原に等しき夜見ケ浜の白砂青松の磯辺を筆者と共に逍遥し乍ら、今昔の感に打たれ、思はず歎息せざるを得ない。隠岐の嶋は遠く波間に浮び、幽かに山の頂を顕はし、三保ケ関の霊地は眼前に横はり日本海の波に漂へるが如く見えて居る。八大竜王ナンダナーガラーシャ(歓喜竜王)、ウバナンダ(善歓喜竜王)、サーガラ(海竜王)、ワーシュキ(多頭竜王)、タクシャカ(視毒竜王)、マナスヰン(大身大力竜王)、ウッパラカ(青蓮華色竜王)、アナワタブタ(無悩清涼竜王)、は鼓を打つて吾等一行を迎へ給ふ……
 (霊界物語 第57巻 序文)

金輪奈落の地底から
風輪、水輪、地輪をば
貫き出でたる大高峰
伯耆の国の大山は
日本大地の要なり
白扇空に逆様に
懸りて沈む日本海
八岐大蛇の憑依せる
大黒主の曲津見が
簸(ひ)の川上に割拠して
風雨を起し洪水おこし
狭田や長田に生ひ立ちし
稲田の姫を年々に悩ませ人の命をば
取らむとせしぞ歎てけれ……
(中略)
三五教は大神の直接内流を受け、愛の善と、信の真をもつて唯一の教理となし、智愛勇親の四魂を活用させ、善の為に善を行ひ、用の為に用を勤め、真の為に真を励む。故に其言行心は常に神に向ひ、神と共にあり、所謂神の生宮にして天地経綸の主宰者たるの実を挙げ、生き乍ら天国に籍を置き、恰も黄金時代の天人の如く、神の意志其儘を地上の蒼生に宣伝し実行し、以て衆生一切を済度するをもつて唯一の務めとして居たのである。故にバラモン教ウラル教其他数多の教派の如く、自愛又は世間愛に堕して知らず識らずに神に背き、虚偽を真理と信じ、悪を善と誤解するが如き行動は取らなかつたのである。神より来れる愛及び善並に信真の光に浴し、惟神の儘に其実を示すが故に、麻柱の教と神から称へられたのである。自愛及び世間愛に堕落せる教は所謂外道である。外道とは天地惟神の大道に外れたる教を云ふ。これ皆邪神界に精霊を蹂躙され、知らず知らずに地獄界及び兇党界に堕落したものである。外道には九十五の種類があつて、其重なるものは、カビラ・マハールシといふ。このカビラ・マハールシは、即ち大黒主の事であり、三五教の真善美の言霊に追ひ捲られて自転倒島の要と湧出したる伯耆の国のマハールシ(大山)に八岐大蛇の霊と共に割拠し、六師外道と云つて外道の中にても最も勝れたる悪魔を引き率れ天下を攪乱し、遂に素盞嗚尊のために言向け和されたのである。
 (霊界物語 第57巻 第1章『大山』)

天気清朗一点の空には雲影も無く日本最初の山嶺と称へられたる伯耆大山は、白雪の頭巾を頂き高麗山を圧して聳え立ち、神素盞嗚大神が八岐大蛇の憑依せる印度の国ハルナの都に暴威を振ひて、天下を体主霊従的に混乱せしめつつありしその曲業を悔悟せしめ、地上に天国を建設せむと、数多の三五教の宣伝使を派遣し厳の言霊を以て言向和さむと為たまひし時、大黒主は風を喰つて印度の都を九十五種外道を引率し、遠く海を渡りて淤能碁呂嶋の要なるこの大山に姿を隠し、暴風雨を起し妖邪の気を放射して人畜を苦しめたるを、大神は自ら数多の天使や宣伝使を率ゐて安く来りまし、天下の災害を除き、天の叢雲の剣を獲て之を高天原に坐します天照大御神に献り、清浄無垢の大精神を大神並に天神地祇八百万神及び天下万民の前に顕はし玉ひし霊界物語に取つて尤も由緒深き神山を朝夕打ちながめ、ノアの方舟なす口述台に横はりつつ、四月一日より本日正午にかけ、真善美愛の戌の巻(五十九巻)を編著し了りたり。
白砂青松の海岸を四五の信徒と共に逍遥しつつ、松露の玉を拾ひ拾ひホテルの二階に帰り、大山の霊峯と差向ひ互に黙々として睨み合ひつつ認め了りぬ。
 大正十二年四月三日 於皆生温泉
 (霊界物語 第59巻 序)

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大黒主は月の国の都ハルナを三五教の宣伝使の為に追はれ、再び日本に逃げ来り、夜見が浜なる境港より上陸し、大山にひそんだのである。素盞嗚命はこれを追跡して安来港に上陸したまひ、所謂大蛇退治を遊ばされたのであるが、大黒主は大山に於て八岐大蛇の正体を現はしたのである。後世大蛇の事を池の主とか、山の主とか呼んで主の字をつけるのは、大黒主の主より来るものである。
 (月鏡『大黒主と八岐大蛇』)

八岐の大蛇と云ふことは、其当時に於ける大豪族の意味であつて、八人の大将株が居たから八岐と云ふのぢや。また大蛇と云ふ意味は、言霊上おそろしいの意が転訛したので、おとろしいとか、おろちいと云ふのも同じことである。そして尾とは、八人の大将株に引率されて居る多数の部下の意味で、よく沢山の人が隊伍を作つて行くときは、長蛇の如しとか、長蛇の陣を作るとか云ふ。それが人数が多ければ多いだけ長い。故に大蛇の如くに見える。又悪い者を鬼か蛇かと云ふことがある様に、蛇の文字が使用されて居る。素盞嗚尊は印度のボンベイより其八岐大蛇、即ち大豪族の大部隊を追つかけられて、長年月を経られ、各地に於て小をろちを退治られつつ、伯耆の大山に逃げ込んで割拠して居た大豪族を遂に退治られた。即ち征討されたのぢや。又日野川と云ふのは血の川とも言つて、退治した大蛇の、あまりに大部隊であつた為め、川水が血の色に染まつたと云ふので此の名称が起きた。尾八尾、谿八谷と云ふのは、その大山地帯に、広範囲に群居したことを云ふので、山の尾にも、谷々にも、一パイになつて居たと云ふ意味で、其部下の数の多きを表現したものである。
 (玉鏡『八岐大蛇』)

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出雲路の旅にし立てば時じくをわが眼引かるる雪の大山
 (島根別院歌碑)

夜見のはま出雲不二ケ峰中の海宍道のうみ照るうましかみの国
 (島根別院歌碑)

日野川の水源とほしも大山の尾根に湧き立つ雲につづけり
 (大山山麓日吉津村 神刕別院歌碑)

千早ぶる神の聖跡をしたひつつ八雲の山に吾きつるかも
八雲立出雲の歌の生れたる須賀の皇居の八重垣の跡
大山はみそらに霞み海は光る出雲の国は錦の秋なり
 (島根県八雲山歌碑)

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出雲不二要をうつす神池湖(しんじこ)は日本(やまと)島根の鏡なりけり

神池湖の鏡にうつる大山(大扇)は出雲開きの要なりけり

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