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日月神示の「てんし様」は王仁三郎

出口王仁三郎が、「(大本の神示は)もう九分九厘出た。あと一厘出てくるだけだ。」(『新月の光』所収)と昭和十七年に予告して、二年後の昭和十九年に元大本信者の岡本天明によって伝達が開始されたのが日月神示である。
日月神示は内容的にも大本の神示と首尾一貫している。
ということは、日月神示を正しく理解するためにはまず、大本の教えを理解しておかなければならないと言える。

日月神示にはたびたび「てんし様」や「天津日嗣」といった、天皇のことを指すと思われる言葉が出てくるが、これはこれまで、東京の皇居に居られる天皇陛下のこととする解釈が多かったようである。

確かに、そのように受け取るのが妥当と思われる箇所もある。
例えば東京で空襲が始まる数ヶ月前に、「てんし様を都に移さなならん時来たぞ」という神示が降りたのは単純に、東京は危険だから昭和天皇を京都に移動させよ、という意味に受け取れるからだ。

しかし、「てんし様」という日月神示の記述を全て皇居におられる天皇陛下のことと解釈するのは無理がある。
大本において「てんし」や「天皇」がどのように語られていたかを踏まえた上で日月神示の「てんし」を解釈しなければならないだろう。

戦前の大本は表面的には、熱烈なと言っても良いくらい、尊皇を標榜する団体であった。
が、一方では「てんしまでも自由に致して神は残念」「てんしは綾部に仕組が致してあるぞよ」と大本神諭には示されているし、王仁三郎は「綾部に天子を隠せり、今の天子偽物なり」と密かに説いていた。
要するに、現在の天皇は偽物(明治天皇はすり替えられた)ではあるが天皇制そのものは重視しつつ、有栖川宮の落胤である王仁三郎こそが本物の天皇である、というのが大本の神の意思であると受け取ることができる。

つまり、日月神示に書かれている「てんし」や「天津日嗣」も、皇居におられる天皇のことなのか、王仁三郎のことなのかをよく見極めて読み取る必要があるだろう。

『てんし様が世界みそなわすのざぞ。世界中の罪負いておわしますスサノオの大神様に気づかんか、盲、つんぼばかりと申してもあまりでないか。』(地つ巻15)
『てんし様おろがみてくれよ。てんし様は神と申して知らしてあろがな、まだ分らんか、地(くに)の神 大切せよと聞かしてあろが』(水の巻1)

→王仁三郎はスサノオの分霊にして現界顕現であり、無実の罪で大弾圧を受けた。スサノオは大海原(=全地上の神、即ち地球大地)の神である。

『天地の先祖、元の神のてんし様が王の王と現はれなさるぞ、王の王はタマ(霊)で御現はれなされるのざぞ。』(雨の巻17)

→王仁三郎がスサノオの分霊であるということは、天祖大神(みろくの大神)の分霊ということでもある。王仁三郎は生前においては救世の準備神業を行った。しかし、その本格的活動は霊界に戻ってからである。「一日も早く天人界に入り瑞の御霊の力示顕(みせ)たし」と王仁三郎は詠んでいる。

『一(ひとつ)の王で治めるぞ。てんし様とは天地様のことぞと申してあろがな。』(風の巻8)

→王仁三郎=瑞の御霊は天地の祖神の権能を一手に掌握して救世主神として働くのである。これを瑞霊ではなく、皇居におられる天皇陛下のことと解釈するのはあまりにも無理がある。

『てんし様よくなれば、皆よくなるのざぞ。てんし様よくならんうちは、誰によらん、よくなりはせんぞ。』(風の巻9)

→昭和天皇も戦中それなりのご苦労はあっただろうが、戦中も戦後も天皇としての地位は保たれた。王仁三郎は大弾圧を受けたが、それは日本国民の戦争への道とほぼ同時進行であった。王仁三郎が無実の罪を晴らして釈放され、教団を建て直すと同時に、日本国民も終戦を迎えて戦後復興へ。日月神示のこの記述も、昭和天皇のことだとするには無理がある。

以上の如く、日月神示の「てんし様」を、王仁三郎のこととして解釈すると辻褄が合う場合が多い。
大本神諭や日月神示といった国祖系の神示は、受け取り方を間違えば偏狭な国粋主義へと発展しかねない。
実際、出口ナオ開祖中心の大本教団の草創期にはそのような狂信的な信者達が続出したのである。
日月神示の理解を深めるためには、王仁三郎の神格と教えを理解することが必須だろうと思う。

 (大山山人)

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