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6月4日に寄せて――廖亦武『銃弾とアヘン 「六四天安門」生と死の記憶』にまつわる思い出

 6月に入ったばかりのころ、大学2回生の頃受講していた中国語講座の担当教員が、いつもとは全く異なる張り詰めた面持ちで話し始めた。
「みなさん、今日は何の日かご存じですか?」
中国出身の若い女性教員だった。
「10年前の今日、中国では天安門事件が起こりました。たくさんの人が政治犯として捕らえられ、はっきりとした理由もなく殺されたり、牢屋に入れられたりしました。今でも中国では、天安門という言葉も、6月4日という日付も検索することができません」
先生は、感情をぐっと抑えた静かな声で言葉少なにそう語ると、いつも通り授業を始めた。あれから何年も経って中国語はすっかり忘れてしまったけれど、あの時の先生の声色やしんと静まり返った教室の雰囲気はいまだに忘れられないでいる。
 数年後、わたしは冷戦期のヨーロッパの亡命作家について研究するためにチェコの首都プラハに来ていた。プラハでは毎年5月に、全国各地の出版社や書籍が集まって本を販売する大規模なブックメッセが開かれる。街のあちこちにある文化施設では、数日がかりのこの大規模なイベントに関連して、朗読会や作家のトークイベントなど様々な行事が催される。イベントのパンフレットを眺めていると、Liao Yiwuという明らかにヨーロッパ人ではない作家の名前がわたしの目をに飛び込んできた。
 廖亦武Liao Yiwuは、ドイツに亡命した中国人作家だ。天安門事件で逮捕・監禁されたのち、釈放されたが、その後職に就くことができず、尺八を演奏する大道芸人として中国各地を放浪し、最下層の人々の声を書き留め続けた。2011年以降はドイツで亡命生活を送っている。
 イベント終了後のレセプションパーティーでは、ちょうど『銃弾とアヘン』のチェコ語訳(Kulky a opium (2014))が販売されていた。それを一冊買って、ワインを飲みながら表紙を開こうとしたとき、ご婦人と小さな娘さんと一緒に会場の隅に座っていた廖亦武が、なんとこちらに向かって手招きをした。意外なことに驚きながら、彼の方に近づいてゆくと、彼は無言でわたしが購入した本を手に取り、サインをした。英語でお礼とイベントの感想を伝えようとしたが、残念ながら彼にはあまり通じなかった(今思えば、ドイツ語で話せばもう少し通じたのかもしれない。惜しいことをした)。

 帰り道の路面電車で最初の章に目を通した。天安門事件で逮捕されたときの様子や、行方知れずになった友人のことが克明に描かれており、背筋が凍り付くような衝撃を受けた。にもかかわらず、怠惰さ故、続きを読み進めることができないでいた。
 帰国後随分経って、2019年に『銃弾とアヘン』の日本語訳が出版されていることを知った。刊行記念イベントには、廖亦武氏も来日していたらしい。なぜこんなに重要な情報を見逃してしまったのか、と悔みながらも、わたしはこの本を注文した。チェコ語訳よりも大部で、写真や、彼の友人の手による絵も添えられている。
 天安門事件から32年目の今日、廖亦武の『銃弾とアヘン』の表紙を再び開く。



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