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3月10日

すっかり少しだけ遅れた投稿が続いてしまうけれど、このスタイルはわりと楽だ。遅れを取りすぎずカレンダーについていこう。

このカレンダーにはすこしだけ星読みのことも書いてあって面白いので、水星逆行に触れてみる。私もそんなに占星術に詳しいわけではないのだけど、変なところで感覚が鋭く、色んな気持ち良さとか気持ち悪さを感じ取りやすい私にとって、星の動きに自分の感覚のそれが対応していることが、時に安心材料になる。

ここのところ水星逆行の影響をもろにうけていて過去の辛かった時間に引き戻される感覚がずっとあった。気づくと思考が過去の自分を辿っていて、いかんいかんと現在に戻ってきては、「水星のせいかぁ〜」と楽観することを繰り返しながら過ごした。

10日の12:50ごろだったかな、この水星逆行期間が終わった。今は過去のことを全然思い出すこともなく、地に足がついた感覚で自分の生き方を見つめる時間なんかとったりしている。みなさんは、日常生活で自分の生き方を考えることってあるのだろうか?私だけでしょうか?

ここでちょっとChara +YUKI の話をしたいのだが、先日20年ぶりに再結成したこのお二人のそれぞれの生き方、得意なことが違う感じがとても面白いのです。

まずこのミュージックビデオをみて気になったのは、YUKIが薬指に指輪をつけていること。Charaは代わりにパールをつけている。

踊って歌っている二人はすごく楽しそう。この二人は自分の得意なものを追い求める姿勢をつらぬいていると思うのだ。二人でユニットを結成することで、どちらかがどちらに寄せるわけでもなく、どちらか一方がプロデューサーをつとめるわけでもなく、丁度いい融合が起きている。それぞれが自分のやりかたに自信とプライドを持っていて、尊重しあっている感じがする。

「この二人素敵だなぁ、羨ましいなぁ」とみていて思うのだけど、私も私の得意なことをつらぬいていけば、きっとこんな風に自分の生きかたに納得することができる〈たのしいにんげん〉になれるような気がしている。誰だってこの二人のようになれる可能性がある。

私にとっての得意なことは、素直さのような気がしている。得意なことは、それしかできないことと紙一重ではあるのだけど、私はそれでもいいかなと思う。不便なことも多いけれど。

YUKIは「トロイメライ」という歌のなかで「傷痕なら残るらしい無邪気な私には戻れないの」と歌う。

Charaは「Love pop」という歌のなかで、「臆病になっちゃいけない純粋なままでいたいんだ」と歌う。

この二つの歌詞の違いはなんだろう。生きていれば、必ずなんらかの傷を背負っていくし、それは名誉の負傷にも変わっていくと思う。しかし一度傷つくと無邪気な私には戻れない。だんだん世界を信じるのが怖くなっていく。けれど、そこを超えることができると思う。私はそれがとても得意なんだということに気がつくことができた。

きっといろんな傷を抱えて、素直で純粋な私には「もう戻れない」と一度は思ったとしても、素直でいられる自信がある。それは本当の意味での純粋さや素直さとは違うかもしれない。哲学の用語を借りるならば「無知な素直」ではなく「無知の知を悟った素直さ」だと思う。

「無知の知」これはソクラテスの言葉で、自分はなんでも知っていると思うのではなく、自分は無知であることを知っている者の方が一歩先を歩いている、ということだ。純粋なままではいられないと知ったあとにも、純粋でいることを選べるひとはきっと強い。

私は自分が愛されていることをわかっているから、これを得意なことと言える。だから素直でいられる。素直でいられたら、また愛されていることをきちんと受け取れる人でいられる。

これを受け取れない人を身近に何人もみてきた。その人達をみているだけで辛かった。そんな人を少しでも癒したくて、私は歌ったりしている気がする。

そんな3月10日。

エチカ

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