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濃い夏の空気エトセトラ 2022/9/13

日めくりの湯  2022年9月13日(火)

もはや、こんなにとびとびの日記では「日めくり」には程遠いが、秋の気配が嬉しいので、調子に乗ってnoteを書く。

週末、遅ればせながら夏休みを4日間設けた。社会人になると、学校から与えられる予定で夏休みが決まるわけではなく、自分で休むと決める必要がある。あのめちゃくちゃ多忙そうな星野源さんが、休むのって大事だよね~と、ラジオで言っていた。

1日目は、自分のためにのんびりする日に。
2日目は、飛行機に乗って実家へ。
3日目は、実家で眠り過ごす。
4日目は、飛行機に乗って東京へ。


という、夏休みなどという浮かれた名前にしては、何の変哲もない休日を過ごした。実家は遠いので、なかなか帰る機会がない。そして、特別帰りたいわけでもない。

大学時代に住んでいた寮では、よく友人たちが「はやく帰りたい」とホームシックになっていた。それを横目に私は、「休みになっても帰らず東京でバイトをしている方が、100倍有意義だ……」などと思っていた。バイト先の本屋が大好きだったので、学校がない平日の昼間には、学生バイトさんよりも "仕事" に本気の人達、パートさんや社員さんと一緒に働ける。これが、この上なく、楽しいバイトライフだった。


あまり帰りたがらないので、親不孝な娘だという自覚はあるが、田舎を出たくて出たくて、やっとの思いで上京したので、きっと仕方のないことだ。どうしてそこまで田舎が好きになれないのか、今まで深く考えたことがなかったが、今回久しぶりに帰省してみて、やっぱりここは私の住むところではないと改めて感じた。

旅行や、遊びに行く場所で自然に触れるのはいい。けれど「地元に帰る」というのは、それ以上のものが付いて来すぎる。どこへ移動するにも車が要るので、ペーパードライバーで車がない私はどこにも行けない。いざ車に乗せられて町を走ると、見渡す景色、どの店もだいたい同級生の実家。買い物に出かけたスーパーでも、必ず誰か知り合いに会ってしまう。私は地元に両親しか家族がいないが、他の人は、町中、誰もが親戚みたいな様子をしている。この、あまりに濃密な人間関係が私は苦手だった。


焼き肉屋の前を通りかかる。そこが実家な、大好きな友達の顔を、元気かな~と思いうかべる。
「Aちゃん元気かな~。どうしよるんかな~」と聞いても、母にはわからないことが多い。娘がすでに自立している今、母は母のコミュニティだけで生きていることを知る。いまや私の友人が、母にとっての知人であるわけではない。


私も普段からすべてを母に報告することはできないので、「元気にしちょるよ~」というようなLINEは送るが、いちいち「これが大変」「新しい友達ができた」というようなことは言わない。私には私の時間が、母には母の時間が流れている。

母は、どんどん祖母に似てきている。そして、見る度にどんどん小さくなっている。まだまだ元気だが、こうして人は老いていくのだな、という現実をみて胸がすこし苦しくなる。


私もとても母に似ている。母の好きなものや、考え方に影響を受けて育ったことをまざまざと思い知る日々だ。自分の知見が広がれば広がるほど、幼いころの私の世界は、母の好きなもので構成されていたことがわかる。

だから、母は私の中身を煮詰めたような性格をしている。良いところも悪いところも、エッセンス化されている。きっと情報が少ない田舎の中で、なにもかもが濃くなりやすい。血と、食べて育ったものと、環境と、そんなあらゆる要因がこういう仕組みをつくっている。親子ってほんとうに不思議なものだ。

母は祖母のことをあまり良く言わないし、手紙にもあまり返事をしない。筆不精な母。私も母にLINEを返すのに3日かかる。LINE無精な私。

そうやって引き継がれていく母娘の関係性。母が、あの緑が濃い田舎の空気のなかで、どんどん煮詰められて、さらに体まで小さくなり、いつか指でつかめるほどになり、そして消えてしまうのかしらと、不安になった。なるべく柔く優しい気持ちのまま、年をとってくれたらと思う。どちらにせよ、ずっと幸せでありますように。


エチカ

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