漫画「ケンガンアシュラ」感想

 ケンガンアシュラの無料公開、通勤時間にチマチマ読み進めて、ようやく読了。うーん、前から気にはなっていた作品なんですけど、ジェネリック刃牙の中央値と言いますか、「格闘技好きが描いたマンガ」というよりは、「格闘技マンガ(あるいはゲーム)好きが描いたマンガ」みたいな中身になってます。格闘技モノの面白さの本質って、勝敗の「意外性」と「納得感」だと思ってるんですけど、本作の試合では両者がそろっているケースがとても少ない。一方で、ジェネリックじゃないほうの刃牙には、主人公の試合「以外」において、かなりの確率で両者がそろっている。他作品からのオマージュというには、あまりに加工の無い直接の引用みたいな場面や設定も多くて、「若いオタクが2次元から学んだ3次元を2次元に模写している」ような違和感は、ずっとつきまといました。

 ネタバレ上等でしゃべっちゃいますと、本作は所謂「あしたのジョー」エンドなんですけど、試合前のヒロイン(ヤマシタカズオ)とのやりとりから始まって、燃えつきの大ゴマにいたるまでをトレースしておきながら、引用元とは天と地ほども違っていて、結末が納得感ゼロの他人事にしか見えないのは、ある意味すごいことなのかもしれません。矢吹丈は「昭和の根無草、風来坊の父(てて)なし子」であり、ある時代においてアイデンティティと「生きる意味」の不在に苦しむすべての若者の象徴でしたが、本作の主人公は作者補正タップリの、強さに説得力を欠いたーーここだけ刃牙ソックリーー格闘技マンガのいちキャラクターにすぎません。

 1話からずっとただよい続けた、悪い意味での「同人誌感」は、作者の成長とともに薄まっていくかと期待していましたが、ついに最終話まで消えることはありませんでした。海外のファンには申し訳ないですが、本邦にはもっと先にアニメ化しておくべき格闘技マンガが、いくつもあると思います。

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