雑文「枯痔馬酷男(3)」(2008年)

 静まり返った深夜の雑居ビルに一室だけ点る灯り。文字の本来が持つ伝達という意図を無視した乱雑さで“シナリオ会議”と極太マッキーで書かれた紙片の掲示される扉の向こうには、複数の男たちが額を寄せ合ってうめいている。上座に位置する男、露出した頭皮へわずかばかり残った下生えを凄まじい勢いでかき回している。
 「(血走った目で)矛盾はねえか、矛盾はねえかァ! MGSの完結編となるこの作品、わずかばかりの不整合や語り残しさえ、二度と語りなおせないという意味で致命的な瑕疵となりうる。広げた風呂敷の裏で実は何も考えていなかったと、(実際にそうすれば見えるかのように宙空をにらんで)奴らに格好の批判の口実を与えるなど、断じてあってはならないのだ。(積まれた原稿用紙へ十センチまで視線を近づけて)矛盾はねえか、矛盾はねえかァ!」
 「(関節を感じさせない動きで両肘から先をぶらぶらさせながら)見つけたでヤンスよ! 廃業した銭湯の湯船で殺されていた豚醜女(ぴっぐ・ぶす、と読む)の死因でヤンス! 入り口にはインサイドとアウトサイドから板が打ちつけられ、あらゆる侵入経路は完全に封鎖されていたにも関わらず、日本刀は被害者の手が届かない背中から胸部へ突き抜けているでヤンス!」
 「(額に浮かんだ無数の血管に両手の爪を突きたてて)ぐぬぅ、ぐぬぬぅ! (突如椅子を蹴たてて立ち上り、両手を前傾姿勢から後ろ向きに伸ばすと、異様な熱をはらんだ目で宙空を凝視する)」
 「で、出た、酔狂のポーズでヤンス! 周陽、よく見ておくでヤンス! あのポーズが出たとき、枯痔馬監督に解決できないシナリオ上の問題点は無くなるんでヤンス!」
 「(額に一滴、汗のしずくが流れ落ちる)噂には聞いていやした……まさか、この目で拝見できるとは……」
 「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ! 豚醜女を殺害した犯人は入り口をアウトサイドから閉鎖した後、大気散布型のナノマシンを使って死体を遠隔操作し、被害者自身にインサイドから木材を打ちつけさせたのだ!」
 「(スーパーのチラシの裏を見ながら)MGSの年表を眺めていたのでごぜえやすが、THE・醜女(ざ・ぶす、と読む)の懐妊時期とスネエクのED(勃起不全、のルビ)が始まった時期が整合しやせん」
 「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ! 体内循環型のナノマシンがスネエクの海綿を充填し、一時的にEDの回復を見たのだ!」
 「(両肘から先をぶらぶらさせながら)見つけたでヤンスよ! このムービーで鎌田キリ子の膣口が重力方向ではなく水平方向に開いているでヤンスよ!」
 「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ! 生体置換型のナノマシンが、鎌田キリ子の遺伝情報を根本から書き換えたのだ!」
 「(両肘から先をぶらぶらさせながら)アッ! この場面、太陽が西から昇っているように見えるでヤンス!」
「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ! 大気散布型と生体置換型の混合タイプのナノマシンが、スネエクの大脳辺縁系を侵し、主観カメラに影響を与えたのだ!」
 「(スーパーのチラシの裏を見ながら)MGS年表を眺めていたのでごぜえやすが、二人ばかり年齢が二百歳を越えておりやす」
 「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ!」
 「(両肘から先をぶらぶらさせながら)じゃあ、お湯の上を走っても沈まない妊婦の挿話は」
 「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ!」
 「(スタッフらしい男が入室しながら)すいません、昨晩から腹を下してて、どうも便が水っぽくて」
 「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ!」
 「(スタッフらしい男が退室しながら)監督、レンタルビデオの延滞料とられそうなんで、申し訳ないですが今日はこれで失礼します」
 「(カッと目を見開き、背後に伸ばした両腕を激しく羽ばたかせる)ナノマシンだ!」
 「(額に流れる汗のしずくをぬぐいながら)恐ろしいばかりの才気、そしてそれを上回る執念……拙が唯一持ち得ないものは、自分以外の一切を度外視したこの妥協の無さ……」
 「(空々しい拍手とともに)みなさん、夜遅くまでお勤めご苦労様です」
 「(全員が一斉に戸口を見る)誰だッ!」
 「(登頂を経由して大雪山の角度になでつけられた頭髪の隙間から、雪の反射光を思わせる不可思議の輝きを発しながら)誰だとはお言葉ですな。場末の雑居ビルという哀れな舞台装置とこの大人物とのギャップが、それを言わせたのかもしれませんね(戸口の暗がりから電球の傘の下へ歩み出る)」
 「(犬歯を剥き出しにして)ぐぬぅ……ホーリー遊児……ッ! いったい何をしに……!」
 「(かきあげすぎないよう細心の注意を払って大雪山に手櫛を入れながら)陣中見舞い、ですよ。同業者としてね。さて、これは非常につまらないものですが(机の上に、提げてきたポリ袋を投げ出す。重く湿った音が響く)」
 「(癇の強い叫び声で)賢和ッ!」
 「(回転レシーブの要領で顔面から床へ這いつくばり)ハイィッ! 何でございましょうかぁッ!」
 「(顎をしゃくって)早速ホーリー先生のご好意をお確かめしろ」
 「こういう役目が回ってくるという予感がしていたでヤンス……(足の指を使っておそるおそるポリ袋の口を開く)ヒイイィィッ!(尻餅をつき、失禁する。ポリ袋の中からは、頭蓋を丸く切り取られ、脳味噌を露出した馬の生首が転がり出る)」
 「中国では悪い身体の部位を食べることで養生をすると言いますから。(両手を広げて)枯痔馬監督の患部にぴったりの差し入れをと熟考いたした結果でして!」
 「(チック症状が見え隠れし始めるも、つとめて慇懃に)シナリオ仕事で原稿用紙に向かうと、どうも(強調して)目が弱ってきていけません。ホーリー先生のご好意だけはありがたく頂戴するとしましょう」
 「(青ざめて立ち尽くすスタッフを見回すと、含み笑いを拳で押さえながら)『神は笑うことを恐れる観衆を前に演じる喜劇役者だ』とはよく言ったものですな」
 「(ベースボールキャップをとり、胸に当てる)ご高名は拙のような低きにも届いてきておりやす。さすが、ホーリー遊児、含蓄の深え言葉で。いったいどなたからの引用でございやす?」
 「(色つき眼鏡のつるに中指を当てて)ヴォルテールですよ。金言集は実に役立ちます。私は作家ではなく、ただのゲーム製作者なのでね」
 「(顔面の右半分をチックに侵食されながら)周陽ッ! おまえが敬意を示すべき相手は誰だッ!」
 「(悲しそうな顔になり)なんと心の狭い言い様か。だとすれば、枯痔馬酷男が退行してしまったという噂は、やはり本当だったということですか。前回の貴方は、本当にいいところまで来ていたのに! (遠い目をしながら)そう、ブレイクスルーに肉薄さえしていた。(机の上に広げられた原稿用紙やチラシの山を見て)しかし、今の貴方は己の脳髄のみで設定の辻褄を合わせるのに必死だ。熱情と奇跡と世界との融和が奏でる自動律が、作り手の意図を超えたところですべてを整合する」
 「(顔面全体のチックに震える声で)賢和、ホーリー先生はひどく酔っておいでのようだから、丁重に外までお送りしろ」
 「(聞こえないかのように続ける)制約がゲームを作る。46文字の平仮名と19文字の片仮名が無限の世界を作ったあの日を、私は決して忘れない。それとも、貴方は忘れてしまったのですか? 他のメディアを剽窃するのではなく、与えられた媒体に安住するのではなく、自らの治める王国を自らの手で探し出したいという燃える渇望。その熱気に満ちた初源がゲームという新たな地平を生んだのです。技術の限界を知恵で超越するという、世界と人間とのメタファーにも通ずる苦闘がゲームを鍛えたのです。私たちは私たちだけの王国を築き上げた。次世代の旗手として貴方には王国の城壁を堅持して欲しかったのです。私が今になってG.Wに回帰しようとするのも貴方を最右翼とする――認めましょう――次の人々に、流浪の民の上へ響いたThy Kingdom comeの喜びと祝福を再び思い出させたいからなのです。卑近な制約を知恵で超克する、これが日々の営みの本質です。制約の存在しない場所で自己を解放したところで、どれだけ高く跳躍しても雲に手が届くことは決してないのを知るのと同じ絶望をしか生みません。大容量メディアを前にした貴方は、おそらくその絶望に気がついたはずだ」
 「(無言。いつのまにかチックは消えている)」
 「(肩をすくめる)話すつもりのなかったことまで話してしまった。それだけ、私は貴方に思い入れがあったということでしょう。しかし、もう貴方に会いたいと思うこともありますまい。何より、トラ喰え最新作の作業にする没頭が貴方を忘れさせるでしょう(踵をかえすと、たちまちに立ち去る)」
 「(ホーリーがいなくなり、沈黙が降りる。それを破るように、渇いた笑いが周囲へひびく)は・は・は・は……あっさりと認めやがった……この枯痔馬さまが次世代を担う旗手だと、認めやがった」
 「(ベースボールキャップのつばに手をかけて)どうやら、そのようでごぜえやす」
 「(ひどく不安そうな口調で)制約だって? ばかばかしい! 俺は今回、BD(ビッグ・ディルドー、の略)の容量をすべて使い切ったんだぞ……この事実こそが、与えられた制約を乗り越えた客観的な証拠じゃないか! 莫大な物量が質に転換する分水嶺を越えて、そうだ、俺は俺だけの新たな王国を築くことに成功したんだ。そうさ……俺はMGSの最新作でゲームを超えたんだ……(消え入りそうな声で)俺は、ホーリー遊児に勝ったのだ……」
 「(両肘をだらりと垂れ下げて)周陽、ホーリー遊児と話をすると、枯痔馬監督はいつもおかしくなっちまうでヤンス。前回は事務所を解散すると言い出して……また見捨てられないか不安でヤンス」
 「(ベースボールキャップのつばを引いて深くかぶり、独り言のように)ホーリー遊児に敵対し、その存在を頑なに否定しながら、彼の提示した方法論とパラダイムに則って自作を評価している……これは、そろそろ潮時かもしれやせんね」

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