雑文「現実と虚構について(2022.8.20)」

質問:猊下、ご無沙汰しております。 素朴な質問ですが、主観も虚構と言えるのでしょうか? そうすると現実社会も結果、虚構と言えると思うのです。 それは言葉にしてしまうから虚構なのかとも思うのですが、猊下のお考えを知りたく連絡しました。

回答:うーん、かなり抽象的な質問にとまどっております。ある画家の作品を指さして、「はたして、青は万人にとって青なのか」と問いを立てるようなことには、もう意味を見出せなくなるほど、時間が過ぎてしまいました。ほんの一部の才能か異常を除けば、青は99.9%の人間にとって同じ青なのです。瞬間瞬間に過ぎゆく現在は、その強固な事実にはばまれて、意味の受容が個人の言葉、すなわち虚構によって大きくブレることはないでしょう。現実における虚構とは、未来を先駆的に決定する意志のことであり、スティーブ・ジョブスの「現実歪曲空間」を究極とした、他者に対するイメージの強要なのだと考えるようになりました。巨視的に見れば文化や歴史、卑近には営業活動や家族関係など、より単純化すれば2つの考え方の一方に立つ者が、「フィフティ・フィフティを越えて、どの地点まで相手側に意志を押しこめるか?」という版図の争いが、現実における虚構の真相だと感じています。それは人間関係での摩擦をいとわぬ胆力によって成され、上書きした事実が時間で褪色するのに逆らって、繰り返し繰り返し上書きし続ける意志の力が不可欠です。なので、「現実社会は虚構か?」と問われれば、「だれかが思い描いた未来を、胆力と意志によって固着化しているという意味で虚構だが、私と貴方には何の連絡もない虚構である」という答えになるでしょう。たぶん、聞きたい回答とは違うと思います。申し訳ありません。

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