よい大人のツイッター講座 第三回

*このkotorigeikaというユーザーは、四畳半一間の独り寝に耐えかねて、ときどき自動的に大量のツイートを行う、所謂"bot-i"(ぼっち)です。タイムラインを一時的にも占拠されることに不快を覚える向きは、ただちにリムーブ下さい。そろそろ、寂しさが噴出します。

 『敬いはしても、そばにいてほしくはない。それが、詩人という類だ』

 (広いスタジオの中央に布のかかったキャンバス。背なしの椅子に浅く腰掛けた段ボール鼻の外人、カメラに向かってにこやかに)やあ、また会えたね。みんなをよ り良いツイートに導く当ツイッター講座の伝道師、トゥレットだ。いま、局の番組編成は上を下への大混乱だ。そんな中、当マイナー番組がちょっとした埋め草として思い出されたってわけ。ごめんごめん、ひがみっぽい言い方になった。世の中にはもっとひどいことがある。今回の登板を、ぼくは前向きに受け止めないといけない。さて……

 まだ君はこんなふうに考えているのかい? 「ぼくのツイートなんて、このご時世に余計なトラフィックを増やすだけさ」「結局みんな、有名人の普段着姿が見たいだけなんじゃないの?」「オフィスでも社員旅行には必ず仮病をつかうのに、人を引きつけるツイーティングなんて無理だよ!」 大丈夫! ぼくといっしょに学べば、君のツイートは必ずリツイートされるし、君は必ず誰かにフォローされる! 繰り返すけど、このメソッドは米国でもワンハンドレッド・トゥエンティ・パーセントの成功が保証済みなんだ!

 今日の講座は、ちょっと趣向を変えてみよう。英語圏の名言を拝借して、日本語のツイートに変える方法だ。メイジ・ピリオド(meiji period)以降、本邦では庶民から知識人まで、欧米の発信に対する免疫力を喪失している。特に英語由来の情報は、魔法のように人々を無条件で降伏させてきた。メイジ・ピリオド(mage period)は未だ健在ってわけさ!(鼻段ボール、腹を抱えて爆笑する)

 これこそまさに上級編、着想の技術の極北、もう君の貧困な発想力で面白くもないツイートを無理やり捻り出す必要は無いんだ。ただすべてを借りてきて、片ッ端から翻訳しちまえばいいのさ!(鼻段ボール、キャンバスにかけられた布を取る。表れる文字列)

 "I wouldn't say a single word to them, I would listen to what they have to say and that's what no one did."
 『私は彼らに何も言わないだろう。私は彼らが言わなければならないことを聞くだろう。そして、そんなことは誰もやらなかったことだ』

 (鼻をつまんで)おお、翻訳くさい! 翻訳くさいね! 日本兵に銃剣で脾臓を刺突された紅毛人も、思わず首をかしげて困惑の表情を浮かべる翻訳くささだ!

 まず、英語と日本語の違いを明確にするところから始めよう。英語の文章における主語は強固で、その出現頻度は日本語の文章と比較にならないほど多い。これは簡単だね。次に、見落としがちなのは、英語の意味を担保するのは単語の順序だってこと。一方、日本語は助詞のおかげで、語順のくびきからは解放されている。簡単だろ? つまり、英語ツイートを日本語ツイートにするときは主語をできるだけ省略して、助詞の使い方へ少し意識を向けてやればいい。

 もう充分に簡単だけど、助詞についてもう少し補強しよう。この番組も、次があるのかわからない。出し惜しみは無しだ。おまちかね、ツイート技術の上級編。メモの用意はいいかい? 日本語の助詞は、文章の意味だけではなく論理性をも担保する。助詞を脱落させなければ論文になり、脱落の量を少し増やせば散文になる。じゃあ、多くを脱落させたら? そう、ご明察。それは詩になるんだ。ソー・ファー、ソー・イージー! 主語と助詞、覚えておくべきティップスはふたつだけ、すっごく簡単なのさ!

 『何も言わないだろう。彼らが言わなければならないことを聞くだろう。そして、そんなことは、誰もやらなかったことだ』

 うん、いいね。でも、まだまだ固いな。英語の助動詞が与える感情の明晰さは、日本語の淡い情感と対立する場合が多い。できるだけ訳出しないことがポイントだ。また、接続詞の論理性にも同様のことが言える。順接の場合は、思い切って省いちまえ。ソー・ファー、ソー・イージー! 助動詞と接続詞、覚えておくティップスはふたつだけ、すっごく簡単なのさ!

 『何も言わない。彼らが言うことを聞く。そんなこと、誰もやらなかった』

 少しは見られるようになってきたね。でも、省略の果てに元の文章に込められた気持ちまでを削ぎ落としてしまっては、本末転倒だ。細かく見ていこう。まず、"a single word"だけど、"single"を用いることで"a"の一個性を強調している。日本語として自然な強調となるよう語を付け加えよう。そして、"would"は仮定の意味合い、つまり、起こりえない現実への想像力と、起こりえないことへの悲しみを暗示しているんだ。これは語尾を解放することで、"would"の持つ感情的な余韻を表そう。

 『何も。何も言わない。ただ彼らが言うことを聞く。そんなこと、誰もやらなかったと思うから』

 ほら、誰にでもできる工夫でだいぶよくなってきた。え? なんでいつまでも「彼ら」を残すのか、だって?  おいおい、勘弁してくれよ! これまでの講座で何を学んできたんだよ! 文章の硬度を調整するために決まってるだろ! このツイートの持つ乾いた気高さを、水気たっぷりの自己満足的な女々しさへ堕とそうってのかよ! それに、「彼ら」を取り除いたら、文章が自ずから持つ思考の足跡と、その出自が失われちまうだろ!  そんなに自分の生まれた国が嫌いなのかよ!  だったらエスペラントでもバブリングしながら、パシフィック・オーシャンの真ん中にひとりで浮いてろよ!

 もちろん、この未完成品をツイートしてしまう慌て者はもういないと思う。大切なことだから、何度でも繰り返すよ。君が唯一、衆に秀でた部分、有り余る時間を使うんだ。最後に、原文の持つ人としての共感を落としこもう。なんだか難しそうって? 簡単さ! 君が極悪非道のレイシストでも無い限りはね!

 『何も。何も言わない。そばにいて、ただ彼らが言いたいことを聞く。そんなこと、誰もしてやらなかったと思うから』

 フーム、いいね。すごくいい。たったこれだけの文章に、人の愚かさの受容と鎮魂の意思までもが見え隠れする。ちなみに、今回のツイートに用いた英語は、「ボウリング・フォー・コロンバイン」でのマリリン・マンソンのインタビューから引用した。不思議だね。ときに天使より悪魔の方が、深く静かに哀悼する。この世の悲惨は、すべて自分に無関係ではないことを知っているからかもしれない。興味のある向きはぜひ一度視聴して欲しい。この言葉が話される際の透明な空気感は、ぼくの知るいかなるツイート技術を持ってしても表現できないと思う。

 おや。ツイッター講座でツイッターの敗北を認めてしまった。さて、名残惜しいけど、そろそろお別れの時間だ。このお別れが一時期なものになるのか、ずっと続くものになるのか、それはわからない。だってそうじゃないか。毎朝、当たり前のように玄関先で見送る誰かの背中が、いつ失われてしまうのかさえ、誰にもわからないんだから。ただ、それが尊かったのだと後になって知るより、少しだけいつもの不機嫌を直して、いま目の前にある背中へ優しさを分け与えることが、きっとぼくたちにできる最良のことなんだと思う。きょう、君と会えた事実に感謝を。さよならは言わない。またいつか、どこかで。(微笑んで手を振る鼻段ボール。引いてゆくカメラ)

 おわり(制作・著作 NMO)

よい大人のツイッター講座 第五回(+α)

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