映画「フレンチ・ディスパッチ」感想

 長く積んであったフレンチ・ディスパッチをようやく見る。この監督の作品は「よくわからんなー」とか言いながらぜんぶ見てるので、もしかするとすごく好きなのかもしれません。もはや追随というより模倣をゆるさぬウェス・アンダーソン節ーーパクッた瞬間にそれとわかってしまう唯一無二の作家性ーーは健在で、特徴的な色彩設定と長回しの構図、そして独特のカメラワークは指摘するまでもなく、本作では2つの画面サイズ、モノクロとフルカラーを自在に行き来する演出が冴えに冴えています。特に画面サイズの演出は、前作グランド・ブダペスト・ホテルでは、過去と現在を分ける表現として明確なルールがあったように思うのですが、本作においては「オレがカッコいいと思ったほうを使う」ぐらいの感じで、4:3の余白部分をサブモニターとして使ったり、もうやりたい放題です。

 絵作りに関しては、私ぐらいが評価できる範疇を超えていますので、物語の構成について触れていきますと、本作は「映画未満のアイデアからなる3つの短編」より成り立っています(自転車乗りの話は、舞台紹介の第0話なので数に含めません)。「バラバラのままで提供するわけにはいかないから、信頼のボブ・マーレイでマルッと包んじまうか!」みたいな発想で、雑誌社の設定が後づけされたのかもしれません。第1話が120点、第2話が80点、第3話が60点といった感じでクオリティにバラつきがあり、おまけに話の内容が相互に関連しないものだから、「牛肉とラム肉と魚をパイ生地(マーレイ)で包んで焼いてみた」みたいな、とっちらかった読み味になっています。私は「30年間、一行も書かない記者」が、一見バラバラに見える3つの話を一貫した視点でまとめあげる解決編を期待していたものですから、「ノー・クライング」にからめた良い話ふうのラストシーンはなんだかとってつけたようで、少しガッカリしました。ベニチオ・デル・トロ扮する囚人の画家を追った第1話がメチャクチャよかったので、これに作品全体へ向けた期待値をハネ上げられてしまった側面はあると思います。

 女子高生ならぬ「ベニチオの無駄づかい」で有名なのは最後のジェダイですが、ライアン・ジョンソンよ、大トロでマーボーを作る者よ、次世代のハン・ソロ、新たなボバ・フェットとなりえたキャラクターを、あそこまで無残な印象を残さない造形にした己の非才について、ウェス・アンダーソンの奇才を前に膝を折り、あらためて懺悔するがいい! そして金輪際、スターウォーズには関わらぬことだ! 脱線した話を元に戻しますと、本作の提供するユーモアというかエスプリは、「仏語を第二言語とする英語ネイティブ」にしか理解できないものが多く含まれている気がしました。膨大な設定が高速で提示される導入部分を含めて、訓練を怠ってサビついた耳には6割ほどしか聞き取れなかったので、いつかまた英語キャプション付きで再視聴したいと思います。あと、ティモシー・シャラメが「筋肉をごめんなさい」とか言いながら、あいかわらずナヨッとしてエロい上半身をさらすのには、笑いました。

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