いちばん大切なこと
海の目の前に住んで、この春で9年になる。
2011年3月14日、鵠沼から逗子に引越してきた。震災の3日後だったし、少し延期出来ないかと業者さんに相談するも、春の引っ越しシーズンでこの後も予定がパンパんだと言う。結果、計画停電の真っ只中、信号もついていない状況で134号線を走った、引越し業者さんのあとをついて、ゆっくりと。
震災の直後、湘南から西に避難した人、引越しをした人は少なからずいた。このタイミングで引っ越しをしたので、「みもちゃんもどこかに引っ越しをしたらしい」とか、「西に行ったのではと噂になってる」など人から言われた。事実ではなかったし、むしろ、「津波などで危ないから離れて」、と言われていた海の目の前に引っ越すことになってしまったので、正直なところ人に会うのも面倒くさく、よほど親しい友人以外は会わず、おとなしくしていた。そんなことよりも、この状況やタイミングの意味を、受け入れようと思っていた。物件自体はその前の年の夏に手にしていて、リフォームなど、のんびりしていたのだ。だから、引っ越しはほんとうに、たまたまだった。もっと早くも、遅くも出来た。でも、このタイミングを神様が用意してくれた。きっと意味があると思わずにいられなかった。窓から見える海は美しく、穏やかで、大きかった。
日中は暇だったので、自転車であたらしい土地を走ったり、カフェにコーヒーを飲みに行ったり、とにかく出歩いていた。自粛自粛と言われていたけれど、それでは経済が止まると思ったし、今この状況で家があり、命があるわたしが、自粛をしてプラスになることが思いつかなかったからだ。不謹慎でもいい。お金を使いたかったし、働いて頑張っている人に会いたかった。
いま、あの春のことを思い出している。
鹿児島の海辺で育った母に電話をしたとき、「危ない」とか悲観的な言葉をなにも言わず、「神奈川県は計画停電があるのよね? 大丈夫? みもちゃん、頑張ってね」と言ってくれた。
母は、右往左往しない。いつも、心の真ん中をどっしりと落ち着かせている。わたしも、あの日の母のように、今日も、どっしりと居座る。目をよーく開く。
顔の知らない人の文字や発言よりも先にわたしが見るべきものは、身近な人の目。声と、心に寄り添う。耳を澄ます。近所の人、家族。まずは、そこが一番大切。わたしにとって一番大切なことを、見失わないように過ごす。今日も、今日を。
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