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past

いつか今のことを振り返ったとき、わたしはどんな風にこの経験を思い出すだろう。この2ヵ月のこと、それより前にじわじわとはじまっていた前触れのこと。どこから思い出したらいいのか、思い出す必要すらないのか。もはやもう、ほとんどのことを詳しくさかのぼるほど覚えていない。そのくらい、普遍的で変わらないものの横で、何かが確実にぐるりと入れ替わった。

6月1日。
今日、久しぶりに娘の小学校が再開。
この自粛期間中は、文字通りずーっと、娘と一緒に家にいた。壁をぶち抜いたワンルームでふたり、夫もいたらワンルームでさんにん。ひとりになりたいときはキッチンでイヤフォンをしたり、ベランダに椅子を持ち出して座り、海を眺めたり。みんなが工夫をして、なるべくぶつからないように、ストレスをためないように。決まり事は決めない。そんなことを口に出さなくても、みんなきっとそうだろうと言う具合に。

コロナ以前、3つの仕事を掛け持ちするわたしはよく人から、「よく出来るね、切り替え大変じゃない?」とたびたび言われていた。正直、全然大変じゃなかった。仕事は、その場に行けば期待されること、ポジションや使命も違うから、頭を切り替えて、立場を踏まえて発言をすることだけ気をつけて、スケジュール管理をすれば、そんなに大変ではなかった。でも、コロナで自粛になり、色々なことが変わった。

タイパンツ作家、ギャラリーの運営、アウトドアブランドのリペアマン、全てが在宅になり、プラス小学生がいる暮らし。仕事をしながら宿題をみて、さっき終わった気がするご飯をまたつくって。おや、なんだか切り替えが難しい、いつも疲れているような、どうしたらいいんだろう。その答えは探しても見当たらないから考えるだけ無駄、ずっとそんな日々だった。目の前のことをやる、それが大事で、それで精一杯。

企業の一員としてはオンラインミーティングがスタートし、小学校もオンラインがはじまり、ギャラリーは予約のキャンセルや延期のメールの対応、タイパンツ展も中止になり、色々なことが予定通りにいかない日々に追われていたある日、「前のように」と思うことが首をしめるのだと気づいて、色々と頭を切り替えよう、と思ったのだ。

振り返るにはあまりに日が短く、まだ心身共に疲れもあるけれど、いいこともあった。オンラインは慣れないこともあり、付随してメールも増えるし、相手のおんどやリアクションがわかりにくく、やりとりに疲れることもたくさんあるけれど、よかったことのひとつとして、心にしっかり刻まれたこともある。

それは、開催が中止になった企画展、「BEACH BOOK STORE 」をオンラインショップに切り替えたことだ。当初は運営をしている鎌倉・由比ヶ浜にあるBORN FREE WORKSで4月9日から4日間開催し、友人とわたし、それぞれが自費出版した本を販売するはずだった。中止が余儀なくされ、ならばオンラインショップにしよう! と付け焼き刃でつくったサイトを4月9日から30日まで、合計22日間オープンした。どうなるかなどわからない、でもやるしかない! という想いだけでスタートし、いただいた注文に対してピンポン球を打ち返すようにせっせと梱包、発送し、終わって集計した本は、合計で300冊ほどだった。北海道から宮古島まで、これはオンラインの力がなかったら、まずあり得なかったことだと思う。

顔を見たいし会いたいけれど、会えない日々。ふと、「病気になって入院したら、毎日こんな風なのかな」と思った日があった。そのとき、わたしはオンラインの力の可能性、パワー、できることを肯定的にとらえることが出来たような気がしたのだ。届けること、つながることの意味。

今は、中止になったタイパンツ展の代わりに、オンラインでいただいたオーダー分を、せっせと縫っている。タイパンツに関しては、これまで11年間ずっとface to faceが1番だと思ってきたけれど、もちろんそれは今も大事に思うけれど、あたらしい可能性を、実感として知ることが出来た。本もタイパンツも、買ってくださったお客様のおかげだと思う。

BORN FREE WORKSでは、今年に入ってからゲストと、ゲストのおはなしを聞きたい人を呼んで「ちいさなお話し会」というイベントをスタートしたばかりだった。はじめた理由は、誰かにとっての普通が、誰かにとっては尊く、愛おしく、励まされるものである気がしたから。
誰かが、誰かを励ましている。そのことをわたしは伝えたいし、それが使命のようにも思ったからだ。コロナの前は、それを月に一度開催して、1年間続けて本にしたいと思っていた。さあ、今はどうだろう。集まることの難しさも大きい。

もしかしたら、前には見えなかったやり方、方法もあるのかもしれない。シンプルにそう思うようになった。昔に戻れない、というのではない。もう、動き出したのだ。あたらしい世界を知ってしまったから。そんな感じがする。一見哀しいようだけど、たぶん哀しいことではなく、あたらしいことのようで、そうでもなく、たぶんこれは、今のことなのだ。今と、これからのこと。

こどもが産まれたとき、お腹にのせられた宇宙人のような娘にあったとき。この感覚は、あの日のそれと、なにかがすごく似ている。

疲れていて、長かった当たり前が終わった瞬間。
見慣れなくて、あたらしくて、あなたをまだよく知らなけれど、でも、なにかが確実に動き、変わり、もう前には戻らないんだ、と。娘を産んだとき、そんなふうに思った感じを、わたしはいま、再び思い出している。

5月23日、自粛中の新月に誕生日を迎えたわたしは、うまれること、生まれ変わることを、近頃ずっと思っている。
なにがはじまるのか。生きているうちに、たくさんの変化や誕生をこの目で見る。わたしに出来ることをしたい。目に見えなくて、形もないけれど確かな力となるような空気を届けたい。そんなことを何年も前から漠然とずっと思っていたのだけど、そのヒントの数パーセントを、ようやく見つけた感じがする。

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