推しイベが怖い

まじめにあんスタを初めてからはじめての推しイベ。
あんスタ自体はなんと、basicリリース時からやっているけど、全然ルールを理解していなかったり、まじめにやっていたなったため、実質今回初めてちゃんとイベントを走る。今まで何してたんだ。

いつも私はイベントでもガチャでも1枚取れればいいかな〜というスタンスなので、今回も無理せずできるところまでやろうと思っていた。
走って走って推しの星5をなんとか2枚取りした時点で、完凸の大変さを本当の意味で理解した。大変とは聞いていたけどここまで大変だとは。

特攻とか用意していなかったのもあるけれど、とても大変だ。お金も大変だけど、時間と労力の面がどうにもならない。なんて過酷なんだ。時間も指紋もなくなっちゃう。とりあえず無事最低目標だった1枚は取れたのでよかった。ないのとあるのとは大きな違いなのだ。

でも思うんだけど、完凸って本当にしなければいけないのかな。完凸まで頑張らないと、グッズ無限回収しないと「推し」とか「好き」とかって言ってはいけないのかな〜。なんだか息苦しいなあと、今回のイベントはそういったことを考える機会でもあった。

そして、そんな気持ちに拍車をかけたのが、イベストだった。
ストーリーを読む前から、なんなら上映会の時点から、SNS等でストーリーの感想等を見て合わなそうなことはなんとなく覚悟はしていたけど、ストーリー読了後はもうなんともいえない気持ちになってしまった。

具体的な記述は控えるけど、私はクロスロードの上映会に参加して、確かに映像はよかったし、声優さん達も素敵で素晴らしい会だったと思った。
でも一方でどうしてもモヤモヤした気持ちが残ってしまったのは、先輩後輩の描き方だった。それについてはストーリーを読んだり、自分なりに考えて咀嚼して、熱い先輩後輩関係であり仲間なんだということで自己解決し納得できた。
※これはあくまで私の気持ちの問題であって、作品そのものや声優さん側に非は絶対にないです。

それなのに、納得できたのにイベストではその先輩後輩、仲間についてあんな風に描く必要があったのかな〜?と悲しくなってしまった。
元々私は、あんスタが多様性に広く対応しようとしているように見える姿勢を評価していたので、こういったストーリーが出てきたことも悲しいです。

万人が納得のいく答えなんて存在しないことはわかっているし、これが公式が出したものなのだから、今回はそれが自分に合わなかっただけなんだろなと思う。作品において公式は絶対です。
SNSを見ていて、推しイベで苦しくなってしまう人が一定数いる(ように感じる)のは良くも悪くも推しの情報が増えるからなんだろうなと思う。公式によって自分のコンフォートゾーンの外側が描かれるわけなので。しかも今回はクライマックスと銘打っているだけあり、期待も大きいし、公式による展開も大きい分そりゃ良く悪くも気持ちが振り幅大きく揺れ動かされるよね。

話を戻すと、前述したような完凸の件や、イベストの件がきっかけで、人生を楽しくするための推し活でどうしてこんなにモヤモヤした気持ちになってしまうんだろう〜?このコンテンツや関連した情報から少し距離を置いた方が良いのかな〜?と考えたりもした。
でも、それでも推しは素晴らしいんだよね。やっぱり好きの気持ちが勝ってしまう。この複雑な気持ちは恋ですか?

気分転換的に六ツ恋の未読だったスゥくんルートを始めてみた。
あ、そもそも、”ハピエレ初の乙女ゲー六ツ恋”がリリースされた時点で、乙女ゲー的な気持ちであんスタをやっていた人を六ツ恋に流して住み分けようとしているのかな?というのは感じている。

と、いろいろ書いているけど、それでもあんスタは今も、多分これからも好きだし、こんなにいろいろ思ってしまうのも好きだからだと思う。愛ゆえ。やっぱり恋なのかも。楽しくマイペースに推し活できたらいいよね。

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