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美樹さやかに僕はなりたい鱗めく銀の自転車曵くゆうまぐれ 笠木拓『はるかカーテンコールまで』

美樹さやかに僕はなりたい鱗めく銀の自転車曵くゆうまぐれ 

笠木拓『はるかカーテンコールまで』


「美樹さやかに僕はなりたい」というのは、いったいどういうことなのだろうとずっと考えている。


美樹さやかは『魔法少女まどか⭐︎マギカ』に登場する主要キャラクターで、まどマギを観た人ならさやかちゃんがどういった人で、どのような最後を迎えたのかとてもよくわかっていると思う。
※ネタバレになってしまうのでさやかちゃんについては省略します!
是非まどマギをご覧になってください……!


漫画やアニメのキャラクター名が登場する短歌(今日もまた渚カヲルが凍蝶の愛を語りに来る春である/黒瀬珂瀾、ハーブティにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんの始まり/穂村弘 などなど……)はたくさんある。
けれど、「美樹さやかに僕はなりたい」みたいに"そのキャラクターになりたい"と告げている短歌は初めてだった。



さやかちゃんになりたいというのは、どういうことなのだろう。



ただ「美樹さやかになりたい」と望みを言葉にしているだけなのだろうか。幼い頃に「将来は魔法を使えるようになりたい」と口にするみたいに。
だけど、もしそうならば、「鱗めく自転車」も「ゆうまぐれ」も詠まれることはない気がする。そもそも願望を口にするだけなら、短歌にする必要は無い気がする。

やはりネタバレになってしまうので、はっきりと言えないけれど、さやかちゃんで「鱗」と聞けば絶対に思い浮かぶ存在がある。
その存在はさやかちゃんの最後と深く関わっているし、さやかちゃんというキャラクター自身がハンス・クリスチャン・アンデルセンの『人魚姫』の物語を彷彿とさせる。
さやかちゃんと「鱗」には切っても切れぬ因縁がある。

鱗めく自転車を、夕まぐれという夜へと移ろう時間帯に曳きながら「美樹さやかに僕はなりたい」と願う。
何度考えても、どういうことなのだろう、どう詠めばいいのだろうと考えてしまう。

主体の「美樹さやかに僕はなりたい」というのは、さやかちゃんという人に、憧れではなく、畏敬の念を抱いているが故の言葉なのかとも思う。
だけど、だとしても、「なりたい」という感情がわからない。さやかちゃんはいい子で、真面目な子だと知っていも、わからない。



この「わからない」はまどマギを観ていたからなのか、それとも





まどマギ新作の映画が2024年にあると聞いて、好きな短歌について初めてnoteに綴ってみました。


何度詠んでもわからなくて、でも、主体は美樹さやかちゃんが好きなんだろうなあといつも思っています。

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