第3話

第4章        最終選考会

 5月21日、最終選考会は一種異様な雰囲気の中、第一次選考会と同じ「山の上ホテル」で開催された。予定では明日22日の10時から最終選考会を開催し、17時より授賞式となっていたが、選考委員長である三河の身内に不幸があり、急遽、最終選考会を前日に繰り上げたのである。13時に始まった選考会では、候補に挙がった3作品がそれぞれ賞に相応しいかどうかを検討するのが通例である。しかし今年は少し雰囲気が異なっており、『流布』については検討する必要が無いのではないかと言う空気が選考会の冒頭から流れていた。それでも事務局長の山本は例年通りに会を始めた。
「それではこれより平成20年度の芥木賞、最終選考会を開始させて戴きます。先の第一次選考会で皆様に選んでいただいた作品はお手元の資料にあります3作品となります。本日はこれらの作品それぞれが芥木賞として相応しいかどうかを議論していただき、最終判断をしていただきたいと思いますのでよろしくお願い致します。」
開会の宣言を行った後、軽く一同を見回すと、さすがに皆、緊張の色を浮かべているのがわかった。
「特にご質問等が無ければ早速検討に入りたいと思いますが、何かございますでしょうか。」
審査委員長の三河が立ち上がり、軽く咳払いをした後、
「皆さん、今回は私の都合により選考会の日程をずらすことになってしまい、大変申し訳ありませんでした。本来なら欠席すべきとこなのでしょうが、今回は審査委員長を承っており、簡単に欠席するわけにもいかないと判断しました。しかし、昨日亡くなった叔父は、父親を早くに亡くした私を育ててくれた上、私が作家になることを応援してくれた人物であり、私にとっては父親そのもののような人でした。どんな職にあろうとも、その叔父の葬儀に出ないというのはあまりにも人の道を踏み外すことになってしまいます。皆様、および関係各位には大変申し訳ないとは思いましたが、山本さんに無理を言ってスケジュールを変更させていただいた次第です。重ね重ねお詫び申し上げます。」
深々と頭を垂れた三河に歩み寄るようにして山本が言った。
「三河さん、こちらこそ、こんな状況の中、最後まで委員長の任を務めていただき誠にありがとうございます。大切な叔父上を亡くされ、ご心痛でやりきれない中、本日の最終選考会を委ねさせていただくことは大変心苦しいものがありますが、三河さんに最後まで努めていただけると仰っていただき、関係者一同、感謝の念でいっぱいでございます。」
山本の言葉を受けた三河は再度頭を深く垂れた後、席に着いた。山本が姿勢を正し、気合を入れ直すかのように
「それでは例年通り、それぞれの作品について皆様からご意見を頂戴したいと思います。まずは、作品ナンバー『12』、作品名『流布』、作者『某氏』です。この作品についてコメントをお願い致します。」
こうして各作品が芥木賞に相応しいかどうかの検討が開始された。

先の第一次選考会でもほとんど議論されずに通過した作品『流布』は、最終選考会でも議論らしいものがほとんどなかった。山本が芥木賞の選考事務局に関係するようになってから10年程になるが、これほどあっさりと受賞を決めた作品にはお目にかかったことが無い。圧倒的な支持を得る作品でも、大抵、反論を持ち出す委員がおり、そのコメントを元にした議論がある程度展開された後に決定することが多かった。しかし、『流布』については絶賛の声ばかりで、名立たる委員の誰からも批判めいたコメントが一切無かったのである。ここまで一方的に受賞が決まってしまうとどうしても他の作品が見劣りしてしまう。そのせいというわけではないだろうが、第一次選考に残った他の2作品については、『流布』とは逆に、あっけなく落選が決まってしまった。落選した二人の作家にとっては正に“運がなかった“としか言いようのない結果であった。

選考結果は最終選考会が終わり次第、選考に残った全応募者およびマスコミに伝えられるのが通例である。その後に行われる授賞式に出席可能な場所に待機してもらえるよう、最終選考に残った応募者にはあらかじめ伝えられており、受賞者が集まり次第、授賞式が開催されるのである。ところが、今年は選考委員長の三河の都合により、授賞式を翌日に開催することになった。そのため、最終選考の結果は、本日夕刻18時に関係者に伝えられることになっていた。作品の数にもよるが、最終選考会は3~4時間かかることが多く、また、授賞式が明日開かれることで余裕があることを見越して山本は18時に連絡する旨を関係者に伝えたのである。しかし、『流布』が圧倒的な支持を得てあっけなく受賞を決め、かつ、その反動もあって他の作品があっけなく落選してしまったため、結果が出たのは予想より1時間以上も早い15時であった。山本は少し悩んだ末、少し早いが応募者に連絡をすることにした。代理で申し込んだ相澤を含め、最終選考に残っていた3名にはすぐに連絡がつき、それぞれの結果を手短に伝え、受賞した『某氏』の代理人である相澤には、明日の授賞式に関する情報を念のため再度伝えた。その後、マスコミ各社に最終選考結果および明日の授賞式の案内をFAXで伝え、一息ついた。時計を見ると16時半であった。これから明日の授賞式会場に向かい、最終チェックを行えば今日の仕事が完了する。毎年そうだが、応募の受付を開始してから最終選考会が終わるまでの間は結構緊張するのだが、結果が出た後だからなのか、その後の授賞式はとてもリラックスして、楽しむことさえ出来る。今年も無事最終選考会が終わったせいか、やっと肩の力が抜けたような気がする。会場の方は毎年お願いしている業者が準備の大半をやってくれているので、あまり心配する必要も無い。チェックを簡単に済ませて、久し振りに上手い酒でも飲みに行こうか、足取り軽く会場に向かう山本であった。


第5章        芥木賞受賞

 授賞式を翌日に控え、今日は朝から会社中がざわざわしているような気がする。朝、出社してからずーっと、誰もそのことには触れてこないのだが、興味を持っているのは明らかで、ずーっと誰かに見られているようで落ち着かなかった。今朝、TVの芸能ニュースで最終選考会が都合により今日に変更となったことを伝えていた。何でも選考委員長の身内に不幸があったとかで、授賞式は予定通り明日行われるが、最終選考会については今日に早められたとアナウンサーが言っていた。結果についても、今日の夕方、18時頃に関係者に伝えられるということだった。いよいよ結果が判明し、これでやっと変な噂から開放されると思うと気が楽になる反面、未だに噂が解消されていない現状で受賞でもした日には一体どうなるのだろう、という不安が絶えず頭の中で渦巻いていた。普段は結構気楽に物を考える性質の私も、さすがに今日ばかりは芥木賞のことが気になってしまい、ほとんど仕事がはかどらない状態で昼を迎えてしまった。昼食時もひそひそ話しながらこちらを見るものはいても、近くまできて会話をしようとする者はいなかった。昼食が終わり午後の仕事についてもまわりの雰囲気は相変わらずのままであり、普段は感じない類の居心地の悪さを感じつつ、定時までの長い時間を、ただじっとして過ごすしかなかった。定時になると同時に机の上を片付け、課の誰とも目を合わせないようにして部屋を後にした。部屋を出る際、件の課長が何か言ったような気がしたが、ここでつかまって、受賞結果を知るようなことだけは避けたい気持ちもあり、敢えて聞こえない振りで部屋を出た。

オフィスを出ようとロビーに下りた途端、ガラス戸の外側にカメラやマイクを抱えた、如何にもマスコミ然とした集団がたむろしているのが見えた。まだ受賞結果はわかってないはずだが、何かあったのか、と思う間もなく、こちらに気づいた彼らは、手負いの動物に気づいたハイエナの如く、ガラス戸の前にいる警備員をものともせず、一気にこちらに駆け寄ってきた。オフィスビルの1Fは瞬く間に人の群れで一杯となり、なぜかその中心に私がいた。目の前にいる化粧の濃い、ちんちくりんなおばさんが、私にマイクを突き付け金切り声で「受賞のご感想は?」と叫んできた。

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