第2話

 午後の仕事を今日も無難にこなして帰宅した私は、さっそくパソコンを使って例の件を調べ始めた。一昔前だとこういった調べものには手間隙が必要であったが、インターネットがここまで広まった今では、あっという間に調べることが出来る。本当に便利になったものだ。インターネットが広まり便利になったのは良いが、この手の話の場合、あることないことがホームページに書き込まれる。そうすると今度は情報の真偽を判断する能力が必要になってくる。インターネットが悪用されたり、問題を起こすのは、こういったパラダイムシフトについていけないことにも起因しているのだろうな、などと関係ないことも考えつつ、情報を整理した。

先日見たワイドショーから、『某氏』はてっきり同期の森本と信じ込んでいた私は、その日以降、極力この話題には近づかないようにしていた。だから、その後の展開はまるで知らなかったのだが、調べてみたところ、やはり勤務先はうちの会社であると報じられていた。さすがに社名はI社となっていたが、本社所在地だけではなく、設立の経緯や主要顧客に関することまで報じられており、社員であれば、すぐにわかるような情報がちりばめられていた。その後に続く情報は以前ワイドショーで聞いたものとは異なっていた。あの時は同期の森本を想像させるような、生え抜き、エリート、なんて言葉だったが、今回調べた結果は概ね次のようなものであった。

『某氏』はI社設立直後に入社した生え抜き社員で(ここまでは一緒)、入社後10年ほどは若手にも関わらず、主要プロジェクトに携わり、中堅/ベテラン社員に負けぬ働きをしていた。その働きぶりは社内でも有名で、若手の中では『某氏』が出世頭になると噂されていた。しかし、あるプロジェクトにプロジェクトリーダとして携わったとき、『某氏』はとんでもない失敗を犯した。最初、『某氏』はある間違いに気づいた。しかしその時点では、その間違いが公になる前に自分で解決できると判断し、本来必要な報告を怠った。ところが『某氏』の予想に反して問題は複雑であり、あっという間にあちこちに波及していった。慌てた『某氏』はすぐに上司に報告したが、その時にはもう手の打ちようがない状況になってしまっていた。プロジェクトは一時中断し、社を挙げて立て直そうとした。が、問題の根は皆の想像を越えており、対策を打つには、時、既に遅く、結局プロジェクトは中止するしかなかった。I社は設立以来、順調に黒字経営を続けてきていたが、この年、この影響もあったのか、設立以来、初めての赤字決算となった。I社では、プロジェクトが上手くいかないケースが年に数件発生するが、主要メンバーが責任を取らされるケースはあまりなかった。それよりも次のプロジェクトにその教訓を生かし、今まで以上の成功を挙げることを要求する社風であった。しかし、この時は失敗の仕方がよくなかった。自分で解決できると判断したことをぎりぎりまで上司に報告しなかったため対応が遅れ、そのことが結果的にプロジェクト中止のトリガーであったと分析された。当たり前のことをしなかったという点は大変大きな問題として扱われ、結果として『某氏』は研究開発部門に配属となった。I社では体調を崩したり、成果の出ない社員は研究開発部門に移動させられることが多い。『某氏』は失敗の責任を取らされたのである。

ここまで調べて一息ついた。今でも思い出したくない、十年前の嫌な記憶。そう、私は十年前に重要なプロジェクトを失敗させてしまったのである。昼間、同期の川田に思い出させられ、心の奥底にしまっておいた苦い記憶を引き出されていたこともあり、これらの情報を調べているうちに息苦しささえ感じていた。

嫌な記憶のことはさておき、これらの情報を整理すると、どうやら『某氏』は私のこと、、、らしい。割と冷静に結論を出しては見たが、正直なところ今ひとつ実感がない。自分で小説を書いてもいなければ応募したわけでもない。だから実感がないのは当たり前なのだが、信じられそうな、どの記事を読んでも、それらはすべて私を示していた。どう贔屓目に見ても、私になってしまうのであった。私のような人間が他にいれば話は別だが、これらの記事が本当ならば、やはり私は『某氏』となる。いや、『某氏』が私ということか。ここまで考えて我に返った。失敗の件は本当にあった事だが、作品に関しては、自分で書いたり応募したりした覚えがないのだから、これらの記事はどこかが間違っているか、でっちあげの記事と言う事になる。有名人でもない私を『某氏』に仕立て上げて得する人間はそうそういないだろう。(皆無と思われる)そうすると、これらの記事は間違いと考えるのが筋だろう。ならば、いつまでも間違いのままということもないだろう。『エリート』と言われていた噂もほんの数日で覆されたようだし、あと2~3日もすればマスコミの言うことも変わるだろう。よくよく考えたらなんともふざけた話だし、こんな話を信じた川田もしょうがないな、と思いつつ、疲れた目を揉みつつパソコンの電源を切った。

私は週末になるとゴルフに行くことが多い。大抵は会員になっているコースに行くため、会社の同僚や友人とではなく、クラブに所属している他のメンバーと一緒に周ることが多い。その日も、顔見知りのメンバー3人といつも通りにラウンドしていた。5月のさわやかな天気の下、久し振りに良い感じで最初の3ホールを消化した時、よく一緒に回る金田さんが、「Iさん、すごいことになってますね。」と何気ない顔で問いかけてきた。先日インターネットで調べてから数日が経ってはいたが、依然、噂の内容は変わっておらず、たまにこんな問いかけやら、興味ありげな視線を感じていたので、この時も曖昧に答えてやり過ごそうとした。しかし、ゴルフは4人1組でずーっと一緒に競技するスポーツであり、しかも、時間の大半は移動のため、意外と話をする時間がある。他の二人もどうやら噂を知っているようで、「そうそう、で、どうなの?」なんて興味津々に聞いてきた。さすがにこれにはまいった。ゴルフは技術も大事なスポーツだが、メンタル面も大変重要なポイントとなる。ましてや私のようなシングルにもなれないアマチュアゴルファーにとっては、ラウンドする時の精神状態がそのままスコアに直結することもめずらしくない。今日は久し振りに良いスタートを切れたのもつかの間、ここからはゴルフに集中することが出来ず、今年の最悪スコアを更新してしまった。「なんでこんな目にあわなければいけないのだろう。」帰りの車で思わず声に出してぼやいてしまった。

その後も鎌をかけられたり、直接聞かれたりもしたが、相手は常に私が『某氏』である旨の回答を得たいわけで、否定する答えには聞く耳を持っていなかった。そうなると答えたくても答えようがないわけで、仕方なく、どうとでも取れるような笑みを浮かべつつ曖昧に首を斜めに振るしかなかった。この騒ぎも『某氏』が無事(?)受賞し、本人が素性を明かせば収まるだろう。そうして私に降りかかった災いも解消されるだろう、と高をくくっていた。そうこうしているうちについに発表の日を翌日に迎えたのである。


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