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フリーター、猫を飼う。

横で見事にくるっと丸くなり心地よい寝息を立てているいきものがいます。その姿は古代生物アンモナイトにも例えられるほどの丸まり方です。いきものの名前は。自由奔放、我が道を行く生態に、日々驚きと発見ばかり。
私は生まれてこの方、自分で生き物を飼ったことがありません。
それがどうして猫を飼うことになりまして。
はじまりは母からの一本の電話でした。

「おばあちゃんに会いに来れる?」

昨年、夏が到来したばかりの頃に祖母が入院をしました。
そして、まだ暑さを引きずる夏の終わりに私の届かぬ場所にいってしまいました。本当にあっという間に出来事でした。
仕事の昼休みに電話をかけたり、入院先の病室で話したり、メールのやりとりだってしていたのに、そんな当たり前にあったものが突如消えてしまいました。
いつも家族の健康を願っていた優しい祖母が残したのは、沢山の思い出と、一匹の老猫でした。

猫は祖母が亡くなった日。祖母がもういないことを分かっているのか分かっていないのか、家の中をうろうろと歩き回り、私に食事をせがみました。
もう15歳。
「猫を看取るまではまだまだ元気でいないとね」
祖母とこの間までそう話していたのが嘘みたいで、また何気なく起きてくるんじゃないかと私もまだ現実感が湧きません。
なぁーーん。
少し長く鳴く声が、家主のいない部屋に響きました。そっと手を伸ばし頭を撫でようとすると少し身構えられ、その小さな身体がひどく頼りなく見えました。
「ごめんね。私はばあちゃんじゃないんだよ。」
慣れない手つきで食事を用意するとガツガツと勢いよく食べてくれたので、その食欲に命の温度を感じ、なんだかほっとしたことを覚えています。
祖母が亡くなってまさに直後、母が倒れて救急搬送されたせいで、私はひどく動揺していました。祖母の葬儀の手配と母の緊急手術。しかし、当然猫には人間の事情は関係ないので、お腹は空くし、トイレは汚れます。非日常の中で変わらない日常がそこにはありました。
母は長期入院となり、なし崩しに私は祖母のいない祖母の家で祖母の猫と暮らすことになったのです。

とはいえ最初、猫は知り合いのお宅にゆくことが決まっていたので、私はそれまでのつなぎ役、なんて思っておりましたー
が、ところがどっこい。
15年間ずっと単頭飼いの完全家飼い。外に出るのは病院くらいの箱入り娘。他の猫さえほとんど見たことがないような猫です。
預け先になるはずだったお宅には先住猫がいたのですが、お宅に伺った途端に「こんな野生の声で鳴けるのか?」というくらい聞いたことの無い声での超威嚇。その姿を見てもいないのに、です。心底申し訳ないことに、先住猫さんを萎縮させてしまいました。
人間と同じで、個々の相性はどうしようもないわねー
と、帰ってからすぐに家族会議です。
家族の猫ですので、家族で面倒を見るべきだ、というのが筋の通った話だとは思います。しかし、私も両親もまともに猫を飼った経験がないという状況。猫は15歳軽度の腎機能障害もある。猫への愛情と経験がある場所を探した方が、猫のためではないかと、知り合いの愛猫家を頼ろうとしていたのですが、多頭飼いができないことがわかった今、一匹で飼う環境を整えねばならないわけです。
両親と一人っ子の私ー三人は仕事の都合で全員バラバラに居を構えています。祖母の家は九州、私たちは全員関東住み。そしてどこもペット禁止。母がもう一件猫のために家を借りようか、という方向で話が進むも、母は先の手術で病み上がりの身です。父は会社の寮で飼えない、となると、残るは私。

私が猫を飼う………

率直に申しまして、役者を目指してバイトで食い繋いでいる私は、世間的には立派なフリーターです。
しかしながら、親だってもう若くはありません。家をもう一件分借りること、猫の面倒をみること、経済的にも体力的にも負担は小さくないには明らかです。

私だよなぁ。今まで好き放題やらせてもらってきたし。祖母にも可愛がってもらったし。そうだよなぁ。

そう思う一方。

大丈夫なのか。今もバイトで食い繋いでいる身で、生き物を飼えるのか。命への責任をしっかり持てるのか。

結論が出ないまま悶々と悩み、季節は冬に変わっていきます。祖母の家も年が明けたら引き払わないといけません。

そんなある晩のこと。
寝ている私の頬がぺしぺしと叩かれました。目を開けると猫が枕元でじっと布団を見つめていました。そして今度は布団をちょいちょいと前足で叩きます。まさかと思いながらおそるおそる布団の端を持ち上げてみると、猫はゆっくりと潜り込んできました。しばらくもぞもぞと動いていたのち、やがて私の脇の下で丸くなりました。

その時私は祖母が元気だった頃、この猫はずっと祖母のベットで眠っていたことを思い出しました。祖母が体調を崩してからはずっと押し入れの寝床で寝ていたのですが、その日は何を思ったのか、私を祖母と思ったのか、猫は私の布団の中に潜り込んできたのです。
暗闇の中、手のひらに感じる温もりと穏やかな寝息に、私は覚悟を決めました。
連れて行くか。
この猫はもうずっと前から、祖母と共に夜を過ごしてきたわけで。祖母の代わりになれないけれど、私だってこの体温くらいはこの猫に与えられるかもしれないな、と。
私と暮らすことが猫にとって幸せになれるかは分からないけれど、この猫に何かできる可能性があるなら、やれるだけやってみようか。
私の腕にのったふわふわの毛と温もりを感じながら、私はそう思ったのでした。

フリーター、猫を飼う。
これから未知の生活が始まります。

最後まで読んでくださってありがとうございます。